Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

フィッシャーの「統計的方法と科学的推論」が面白すぎる(その4)

引用メモその4。

第2章「初期の試みとその難点」の「2. ジョージ・プール」から。ベイズ法と逆確率に関するフィッシャーの立ち位置が垣間見れる。

(引用者注:ネズミの同型接合体と異型接合体の確率計算の話の流れから)
また、実験家が、そのネズミの両親がいずれも黒であって、さらにそれぞれの親の一方が茶であることを知っているか、あるいは、両親が黒でありながら、少くとも一匹のネズミを生んだことを知っており、したがってそのネズミが異型接合体どうしの仔であることがわかっている場合にも、事前の十分な知識が利用でき、ベイズの方法を正しく適用できるであろう。しかし、もしその試験されたネズミの祖先についての知識が欠けているならば、いかなる実験家も、実際知らないことをあたかも知っているかのように議論する資格があるとは思わないであろう。十分な資料がなければ、ベイズの推理法はこの場合には適用できないであろう


明らかに、自然科学に実際従っている人々にとっては、より抽象的な数学者にとってよりも、知っていることと知らないことを区別するのは容易である。ラプラスから、現代においてはたとえばハロルド・ジェフリース卿*1にいたるまでの伝統的な考えかたに従えば、次のようになるであろう。そのネズミについて系譜上の証拠が欠けているならば、ただ二つの互いにあい容れない可能性があり、そうして一方が他方より確からしいとする根拠がないのだから、その先験確率が等しいということは公理的に定められ、それに基づいてベイズの議論が適用されるべきであると。しかしこのことは我々が系譜についての証拠を何も持たない場合に、あたかもそのネズミが半分同型接合体を半分異型接合体を生ずるような両親の組み合わせからできたものであるかのようにとり扱うことになる。

ブールの著作の長い引用の後に続くコメント。

これらの引用文は、ブールが展開した長たらしい数学的な例題の中から拾い出したものであるが、彼の論理的な観点をまちがいなく示すには十分であろう。実際彼は、このような種類の資料を基礎にしては、数学的確率を用いるいかなる命題も正しくのべることができないというまでには至らなかった。しかし適当な資料がないときに、疑問のある公理によってのみ支持されるような先験確率を導入し、そのような命題に達する方法をこの場合に適用することは、はっきりと拒否している。


その上、資料で欠けている点を仮説で補うことに対する彼の文章は、ある種の20世紀の一部の学者たちの同じような濫用に対しても適切な指摘となっている

最後の文は「21世紀の一部の学者たち」としても有効かも*2

*1:ジェフリーズ事前分布の人

*2:というか、リスク評価の実務って「資料で欠けている点を仮説で補うこと」そのものだったりするような気もする