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Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

研究の効率:店を潰さないということ

今回は論文の割引率の話の続きというかんじで書いていきたいと思います。

おそらくちょっとウェットな内容になるかと思います。主にエア後輩*1へ向けての内容となりますが、基本的には自分が「院生時代の自分に伝えたいこと」を書いた個人的な独白と思っていただいてOKです。

なので話の普遍性については保証できません。あくまでも「ソースは俺」レベルの話なので、その点を大いに割り引いてお読みください。

以下、若手院生を想定読者として書いていきます。

ある種の若手院生が陥りがちな穴:ロマンティックが止まらない

ある種の若手院生(というか昔の私だ)が陥りがちな穴の一つは、研究に対しての「ロマンティックが止まらない」ことにあると思っています。

彼/彼女らは自分の研究を過剰にロマンティックに愛しすぎているのです。そのこと自体が悪いとはいいませんが、愛しすぎるあまり目の前の研究を採算度外視でどこまでも磨くことに囚われすぎてしまいがちになるという問題点があります。

それは喩えて言えば、「自分の料理を愛しすぎている料理人」のようなものだと言えるかもしれません。

自分の店が潰れてみて気づくこと:素晴らしい料理を創ることだけで店が回るわけではない

自分の料理をロマンティックに愛しすぎている料理人が、素晴らしい料理のことしか考えずに、広報活動を軽視したり採算度外視でお店を経営しはじめたらどうなるでしょうか。

おそらくかなりの確率で店は潰れるでしょう。素晴らしい料理を創ることだけで店が回るわけではないのです。

研究についても同じことが言えます。

自分の研究をロマンティックに愛しすぎている研究者が、素晴らしい研究を追求することしか考えずに、広報活動を軽視したり採算度外視で研究をしつづけたらどうなるでしょうか。

もちろん、中には素晴らしい研究を追求することだけを考えた結果として素晴らしいキャリアも実現されてしまう人々もいます。
しかしながら、そのような限られた幸運に特に恵まれているわけではない人*2が、ロマンティックな愛にまかせて素晴らしい研究を追求することしか考えなかったら、おそらくその人の店(キャリア)はあっさりと潰れてしまうことでしょう。


この点についてははっきりと「ソースは俺」です。

私には「自分の店は一度潰れた」という強い感覚があります。残念ながら、私は若手院生〜ポスドク時代に論文をスムーズに出版していくことができませんでした。そして、論文をスムーズに出版してくことができなければ、「研究者としての自分」という「店」に対するこの世のニーズというものは実にあっさりと消滅してしまいます*3ニーズが、ゼロになります。

この世からのニーズがゼロの状態で「店」を続けていくことは物理的にも精神的にも難しいものです。やがて布団の中に入っても閑古鳥の啼く声がうるさすぎて眠れない日々が続くことになるでしょう。そうなれば、もう閉店・撤退するしかなくなります。

結果的に、私は自分の本来の専門分野から離れざるを得ませんでした*4。そのような経験を経て、さすがに私も自分の研究のやり方を根本の部分から見直さざるを得なかったのです。

店を潰さないために:キャリア形成という視点から見た「研究の効率」を考えよう

「自分の店(キャリア)を潰さない」ために、院生自体の私がもっと考えるべきだったことは何でしょうか?
1つまず確実にいえるのは、昔の私はキャリア形成という視点から見た「研究の効率」というものにもっと自覚的であるべきだったということです。
説明のために、キャリア形成における「研究の効率」を式の形で表すと、以下のように書けるかもしれません。

キャリア形成における研究の効率=個々の研究自体の価値/コスト(かかった正味の時間)

この式の要点は、同じ内容の研究であってもそれを半分の時間で仕上げることができたら、キャリア形成にとっての価値換算はざっくりいって2倍になるということです*5
逆に言えば、とても良い研究であってもそれを仕上げるのに時間がかかりすぎたら、キャリア形成にとってはマイナスにもなりうるということです。


ナマナマしいですが自分の例を言いますと、私の今までのキャリアの中ではEvolution誌に載った論文が自分の中で最も優れた内容の論文と言えますが、この論文を書くための研究にけっきょく丸ごと3年ほど費やしてしまいました。

この研究自体については愛しているし誇りにも思っていますが、キャリア形成の視点からみるとNatureやScienceでもない論文1本分の仕事にポスドクの分際で丸3年もかかっていたら、その後のキャリアの継続は非常に苦しいものになるのは当然です*6

つまり、ただ「良い研究をすれば良い」というものではないのです。常にコスト(時間)を意識し、キャリア形成を念頭においた上での「研究の効率」も同様に重視しましょう。

効率を重視せよ:「手を抜け」とか「研究のレベルを落とせ」とかいう意味じゃないよ

「効率を重視する」という表現は誤解を生むかもしれませんが、これは「単に手を抜くこと」とは全く異なります*7また、「研究のレベルを落とせ」ということでもありません*8

それは、サッカーに例えると「シンプルかつ素早く正確なパス回しでゴールへと最短時間へ到達する」ことに相当するイメージです。これは「単に手を抜く」とか「研究のレベルを落とす」のとは全く次元の違うハナシです。

強く鍛錬されたサッカーチームではボールを奪ってからシュートに至るまでの時間が短いように、秀でた研究者の多くは着想を得てから論文を投稿するまでの時間がとにかく短いものです*9。その時間を短くすることで、一定の研究のレベルを担保しながら多数の論文を書くというワザが可能になっているのです。そして、このようなワザを(も)早い時間帯で身につけておかないと、今どきのアカデミックキャリアを生き抜くことは困難です*10

あなたは今、自分の「現在の研究課題」を深く愛していてその研究と共に過ごすだけで幸せなのかもしれませんが、個々の研究課題(個々の論文単位の仕事)については「長く愛する」のではなく「短く愛してどんどん次に進む」ことを重視しましょう。今はまだ分からないかもしれませんが、「未来の研究課題たち」もあなたのことを首を長くして待っているものです*11

本末転倒の2つの形:どちらも避けて堂々と中道をいこう

料理人が「店を潰さないこと」を目標にするのは不純でしょうか?

店を回していくために不味くて儲かる料理ばかり出すのは確かに本末転倒です。一方、素晴らしい料理を出すことにこだわりすぎて店が潰れてしまったらもう料理自体をする場所がなくなってしまいます。これはこれで違う形での本末転倒といえるでしょう。料理人は料理を作りつづけてこそ料理人なのです。

研究についても同じことが言えると思います。

研究者として生き残っていくために内容のない論文を粗製乱造するのは確かに本末転倒です。しかしながら、素晴らしい研究をする事にこだわりすぎて研究者としてのキャリアが絶たれてしまったら、それもまた違う形での本末転倒でしょう。研究者は研究をしつづけてこそ研究者なのです。

ただ「キャリアのため」に研究をするのは不純ですが、キャリアなくして研究もまたありません。どちらの本末転倒も避けて堂々と中道をいきましょう。

(ただし「今にも店が潰れそう」な場合には、全てに目を瞑り店を潰さないことにただ腐心するのも時にはアリだと思います*12

店を潰さないということ:「研究すること」を「末永く愛する」ために

繰り返しになりますが、一般的に、ある種の院生(というか昔の私だ)はロマンティック過剰状態にあると思います。自分の研究を深く愛しすぎているのです。それが悪いことだとは言いませんが、愛しすぎて「店を潰してしまう」ことがないように注意して欲しいというのが私の願いです。


往々にして、最も深く愛する者が、最もうまく愛せる者であるとは限らないものです。
もしあなたが「研究すること」を深く愛しているのであれば、「研究することを深く愛する」を「研究することを末永く愛する」へとうまく転換していくために、あなたの研究の「効率」について一度立ち止まってじっくりと考えてみるのも良いアイデアではないでしょうか。

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だから、あなたも生きぬいて

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*1:プロフィール参照

*2:「自分がどちら側の人間か」は、だいたいD2の段階くらいから薄々気づいてくるものと思われます

*3:まるで「パルス」と言っただけで消滅してしまう天空の城のように

*4:むしろ研究稼業自体から/あるいは生きること自体からは離れずにすんだ分だけ比較的幸運なケースだったと思いますが

*5:空いた時間でもう1本分の仕事ができる/あるいは将来に向けての基礎固め的勉強もできるようになる、ということ

*6:ソースは俺

*7:まあ時には手を抜くことも大事なんですが

*8:研究のレベルを落とすのはそれはそれですごくリスキー。ただ適切なレベル設定はやっぱりすごく大事だと思いますが

*9:この点については個人的にはSergey Gavriletsにとことん思い知らされた/豆知識:Sergey Gavriletsの妻は桃井かおりに似てる

*10:ソースは俺

*11:あまりにも待たせるのはいけずというものですよ

*12:みんながんばれー。というか人の心配をしている場合でもない>俺