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Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

フィッシャーの「統計的方法と科学的推論」の訳者解説が素晴らしすぎる(その9)

次回からの続きです。今回は、フィッシャーvsネイマンの対立を、その後の数理統計学の流れの中で議論していく部分となります*1。ちなみにこの訳書は1962年刊行ですので、その時代感覚も含めて読んでいく必要があります。

引用していきます(強調は引用者):

フィッシャーの批判にもかかわらず、その後の数理統計学の発展においてはネイマンの考え方は支配的であり、その線にそって多くの理論的展開がなされてきたことは否定できない。それは確率論の体系化によって数学的方法が確かになったこと、品質管理という統計の重要な応用分野が開けた、という大きな原因が働いている。H. クラメールの『統計学における数学的方法』(Cramer 1946)で、応用確率論としての統計学は確立され、50年代からは測度論にもとづく理論が支配的となっている。

応用統計学にとって「品質管理」というのはやはり決定的に大きいテーマだったのですね。「大量生産」という現象がすっかり定着してしまった現代ではあまりインパクトは実感できませんが、同時代的なインパクトはけっこう凄かったのかもしれません。いわゆるトウケイカクメイですね。

続き:

統計的推測の問題を、標本に適用される”ルール”の問題とするネイマンの考え方を発展させると、結局問題は、標本から何を知るかではなく、標本から得られる知識にもとづいていかなる決定を下すか、あるいはいかに行動すべきかをきめるのが問題であることになる。そうしてそのような行動方式は、たとえ個々の場合について失敗することがあっても、平均的に成功の多い利益の大きいものであればよいということになる。ネイマンはこの考えを”Inductive inferenceというようなものはない、Inductive behaviorがあるだけだ”とのべている。このような考え方がフィッシャーにとって受け入れることのできないものであることはいうまでもない。

ネイマンもネイマンで明晰ですよね。でも明晰すぎるせいでツレナイかんじです。"Inductive behavior"については過去記事でも触れましたね。

続き:

ネイマンのこのような考え方をより発展させて、かつ統一的に展開したのがA.ワルドの統計的決定関数(statistical decision function)の理論である。それは考えられる決定と母数の真の値と確定する損失(あるいは効用)を考え、その平均値をなるべく大きくするような決定方式をえらぶことを問題とするものである。


決定関数の理論は数学的な展開において美しい理論を与えた。包括的なこの理論が、フィッシャーに指摘される欠陥をどれだけ克服し、推論は立場をどれだけ包括していけるか、は今後の一つの課題であろう。しかし統計的決定の概念が強く押し出されるようになるにつれて、アメリカでは今後は決定者(decision maker)の主観的確立を重視する考え方が強まってきた。サヴェージの『統計学の基礎』(Savage 1954)はその方向への大きな推進力を与えたものと思われる。それにともなった最近では再び”ベイズ流”(先見分布としてつねに一様分布を仮定するわけではないか*2)の方法が広まりつつあるようである。またイギリスでは前からS. H. ジェフリーズが”ベイズ流”の立場に立っていたが、最近ではその立場が再評価されつつあるように思われる。

ワルドの統計的決定関数への流れがあって、その後にベイズの流れが出てきているようです。確かに「損失関数」とか「意思決定」となれば、ベイズの枠組みの方が本来的に適していそうなので自然な流れかと思われます。

続き:

しかしこのようなベイズ流の立場への復帰は、複雑な形式の推測あるいは決定の問題がフィッシャーあるいはネイマンの考え方にそう形では解決できないことの反映でもあるが、一方では方法的問題の回避にすぎないともいえるように思われる。本文ではフィッシャーが指摘しているとおり、ベイズ自身は”事前分布”があらかじめ客観的に知られている場合を念頭においていたことは注意すべきである。このような状況はかなり限られている。一方ワルドの理論におけるベイズ解は、それ自身が主目的というよりは、完備な決定関数の族やミニマックス解を構成するための道具であったのだが、今日のベイジアンは十分な根拠なしに、恣意的に、数学的扱いの容易な事前分布をもちこむきらいがある*3。またその先験分布をいわゆる決定者の主観に求めようとする立場も、とくにオペレーションズ・リサーチの発達とともに有力になっているが、しかし科学的研究における知識情報の整理を、このような形で解決することは許されないだろう*4

ふむふむ。訳者のベイズ観というのも伺い知ることができます。さらにその後について補足するとすれば、計算機技術の発達によるMCMCの普及に伴い、「方法論的問題の回避」できる範囲も劇的に拡がり、あらゆる複雑な問題はベイズ流に------解いている本人がベイズを使っていることを意識もせぬままに------解かれるようになりつつある、とも言えるかもしれません*5


次回は遂に本書の引用シリーズの最終回となります。

*1:本のp217から

*2:"ないが"の誤植?ここは原文ママ

*3:未来のベイジアンはもっとなんの良心の呵責もなくそういうことをしてますよ!>訳者さま

*4:おお、フィッシャリアンっぽいキメゼリフ

*5:「あらゆる」というのは言い過ぎかもしれない