Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

ドーパミン vs リスク評価:あるいは石川遼 vs MONOQLO

今回はネタ帳メモ的なボンヤリ系の内容です。お気軽にお読みいただければ幸いです。

錯覚・反省・計算:ピエール=シモン・ラプラス中西準子

ラプラス(1749-1827)の言葉に以下のようなものがあります*1

”視覚に錯覚があるように精神にも錯覚がある。そして、触ってみて目の錯覚が正されるように、反省と計算によって精神の錯覚も正される。”(ラプラス「確率の哲学的試論」)

この言葉はリスク学のヒトにはかなり響くものがあるのではないでしょうか。

なぜなら、リスク評価とは『リスク認知における「精神の錯覚」を「反省と計算」によって正していく』ことであるともいえるからです。中西準子的に言えば、その「反省と計算」に基づく人間の理性こそが「不安の海の羅針盤」となるべきである、という感じになるでしょうか。

現代科学すげえ:「精神の錯覚」にドーパミンが関与してるらしいよ

では、そのような「精神の錯覚」はそもそもどのように生み出されるのでしょうか?最近、放射線医学総合研究所で行われた研究から以下のようなプレスリリースがでました。

低い当選確率を高めに見積もるワクワク感に脳内ドーパミンが関与−脳内分子の画像化技術と経済理論から依存症に迫る−

内容をチラ見すると(強調引用者):

今回の研究では、健常者を対象に、経済理論を用いて、宝くじの客観的な当選確率を主観的にはどれだけ歪んで見積もるかを検証したところ、多くの被験者は、理論通り低い確率を高く見積もり、高い確率は低く見積もる傾向にあることが分かりました。さらに、その被験者の脳内ドーパミン受容体の密度をPET検査で調べた結果、線条体注4)という部位のドーパミンD1受容体の密度が低い人ほど、低い確率を高く見積もり、高い確率は低く見積もる傾向がより強いという関係が見出されました。これらの成果は、意思決定障害への陥りやすさに対する事前評価、それらの病型としてのギャンブル依存症等の客観的な診断および新たな治療戦略につながるものと期待されます。

つまり「宝くじの客観的な当選確率を主観的にはどれだけ歪んで見積もるか」という「精神の錯覚」の程度に、ドーパミンが関与しているということが分かったわけですね。

ドーパミン vs リスク評価:あるいは石川遼 vs MONOQLO

リスク評価という営みが『リスク認知における「精神の錯覚」を「反省と計算」によって正していく』ことであるならば、放医研の研究を踏まえて言えば、リスク評価の「敵」は究極的には「ドーパミン的な脳汁」ということになるのかもしれません。

そのため、リスク評価者が敵サイドへと落ちないためには、決して「ドーパミン的な脳汁」に導かれることなく、冷静にエビデンスを見極めながら可能なかぎりサイエンスに基づき歩を進めていく必要あるでしょう。


一般論としては、リスク認知においては客観的な情報よりも情動に訴える情報の方が効果が大きいことがよく知られています。

そのような事態の象徴的な例としていつも自分が思い浮かべるのは、保険会社のテレビCMだったりします。保険のような金融商品というのは、本来的には実は他のどんな商品よりも「数字がそのままスペック」である傾向が強い商品だと思うのですが、それらのテレビCMでは数字の情報は一切示されず、たとえば石川遼のような生命保険」といった情動に訴える文言しか流れてきません。戦略として、われわれの「ドーパミン的な脳汁」をまず制圧することを狙ってきているわけですよね。

一方で、やっぱり数字ベース(反省と計算)を基本線として保険を評価するMONOQLOのような情報誌もコンビニの棚に普通に売っていたりするのも21世紀初頭の日本の現実であります。個人的には、そのあたりに時代の潮目を感じています。

この先の時代に、「ドーパミン的な脳汁」と「リスク評価」のどちらが勝っていくのか、あるいは「石川遼」と「MONOQLO」のどちらが勝っていくのか、というのは21世紀初頭の日本に生きる一市民としてもボンヤリと興味があるところです。

関連文献

確率の哲学的試論 (岩波文庫)

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社会を読み解く数学

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*1:この言葉自体は「社会を読み解く数学/松原望」で知りました