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Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

不確実性と意思決定:「盛る」のは正義か?

twitter上のTLを見ていたら、不確実性を伴う情報を伝えるときに、それを「安全側」にバイアスをかけて伝えたり(安全側に「盛る」)、「危険側」にバイアスをかけて伝えたりする(危険側に「盛る」)ことの是非が議論されていました。

一応わたしも、不確実性が含まれる情報を日常的に扱うリスク評価というものを生業にしている研究者ですので、自分の頭の中の整理もかねてそのあたりについて書いてみようと思います。

情報提供の段階で「盛る」のはダメ(それはパターナリズムです)

結論から言うと、私は、安全側だろうが危険側だろうが情報提供の段階で「盛る」のはダメだと考えています。なぜなら、それは意思決定する側の人の自由(主体的)な選択を阻害する可能性があるからです。

(このあたりの議論の前提についてはぜひ過去記事もご参照ください)


仮想的な例として、岡村(仮名)さんが高血圧の懸念により医者に行って血圧を測ってもらう場合を考えてみましょう。

議論のための仮定として、その医者が持っている血圧計の調子が悪く、だいたい誤差がプラスマイナス20の範囲であるとします。

ここで、医者が測定した収縮期血圧が「120」だったとしましょう。誤差範囲を含めると収縮期血圧の真の値は「100-140」のあいだにあると考えられます。

このとき:

(医者Aのケース)
医者Aはこの岡村さんのことをおもんばかり、生活習慣を改める機会としてほしいという警鐘の意図もこめて、誤差による不確実性を考えたばあいの最大値である「140」という値を岡村さんに伝えた


(医者Bのケース)
医者Bはこの岡村さんのことをおもんばかり、岡村さんはメンタルが不安定なので不安による副作用の方が大きいので安心させたいという意図をこめて、誤差による不確実性を考えたばあいの最小値である「100」という値を岡村さんに伝えた

という2つのケースのうち、どちらが良いと思いますか?


私はどちらもダメだと思います。

「誤差範囲の最大値と最小値のどちらを重視するか」というのはリスクに晒されており意思決定が求められている岡村さん自身が決めるべき問題です。その「どちらを重視するべきか」という問題を情報の提供者が勝手に決めてしまうのは、岡村さん自身の本来的な自己決定権を損なうという意味で非常に良くないものだと私は思います。

このとき医者がすべきことは正直に:

測定された血圧は「120」でした。誤差範囲を含めると真の値は「100-140」のあいだにあると考えられます。

と岡村さんに伝えることでしょう。


この例を今回の一連の災害の例にパラフレーズすると、以下のようになるでしょう。

ある不確実性を伴う情報に関して、「危険側の値と安全側の値のどちらを重視するか」というのは本質的に被災者自身が決めるべき問題です。その問題に対する情報提供の段階で、情報提供者が「どちらを重視するべきか」を勝手に決めてしまうのは、被災者自身の本来的な自己決定権を損なうという意味で非常に良くないものだと私は思います。


安全側だろうが危険側だろうが、情報提供の段階で被提供者のことを慮って「盛る」のはパターナリズムです*1


(個人ではなく集団としてのリスク対策を促すために、情報提供の段階で「盛る」のは正当化されるのではないかという意見もあるかもしれません。しかし、集団としてのリスク対策を促したいのであれば、情報提供の段階で「盛る」のではなく、集団の意思決定においてリスク対策を開始する閾値を下げる(基準値などを厳しくする)ことを求める方向で行うべきだと思います。どう「盛った」のかを開示することないまま集団を動かすために情報を「盛る」のでは、集団を欺いていると言われても仕方ないでしょう)

不確実だからこそ透明性ってものすごく大事なんだよ:どう「盛った」のかを開示しよう

では、不確実性を伴う情報を提供するときはどうしたらいいのでしょうか。基本的には、先ほどの:

測定された血圧は「120」でした。誤差範囲を含めると真の値は「100-140」のあいだにあると考えられます。

のように最尤値(いちばんありそうな値)と、最大と最小の範囲を示すことができれば、それが一番良いでしょう

ただし、情報がかなり限られており不確実性の幅の推定が難しい場合には、リスクを過小推定あるいは過大推定の方向にバイアスがかからざるを得ない(「盛り」が入らざるをえない)不完全な仮定に基づき推定することしか実際問題としてできない場合もままあるかもしれません*2

そのような場合に大事なことは、「どう盛ったか(どのような仮定に基づき推定したか)」をかならず開示することです。大事なことなのでもう一度言いますよ:


値が(意図的にせよ非意図的にせよ)盛られている可能性がある場合には、「どう盛ったか(どのような仮定に基づき推定したか)」はかならず開示しましょう


どうしても情報の正確さが担保できない場合には、推定過程の「透明性を保証する(盛り方を開示する)」ということが非常に重要になります。

盛っているにも関わらず、それを開示しないのはアウトですよ〜。


というわけで今回のまとめはこちら→「原則盛るな、盛ったら開示」


ということでよろしこです


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*1:私はこの点で山下俊一氏も中川恵一氏も支持しません

*2:たとえば、100mSV以下の低線量影響についての線形外挿では何らかの形で「盛り」が入らざるをえないでしょう