Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

放射性物質の食品健康影響評価WGの評価書案を読んでみた(その2・疑問編)

このシリーズのその1(憤慨編)にひきつづき、第9回放射性物質の食品健康影響評価に関するワーキンググループ(以下WGと略)による評価書(案)にたいする私の雑感について整理していきたいと思います。

今回は「疑問編」になります。(今回もまったくもって長すぎるので注意)

ICRPの低線量線形外挿を採らないという方針

この評価書を読んでもっとも意外だったのは、評価書内においてICRPの線形外挿モデルの採用を否定していることでした。(現実的には本件に関してはICRPの線形外挿モデルにしか"落としどころ"はないだろうと思っていたので、とても意外でした)

線形モデルの採用を否定している部分(XIII.食品健康影響評価 2.低線量放射線による健康影響について, 219p)を引用してみますね(強調引用者):

また、比較的高線量域で得られたデータを一定のモデルにより低線量域に外挿することに関しては、国際機関において、閾値がない直線関係であるとの考え方に基づいてリスク管理上の数値が示されている。しかしながら、現時点における科学的水準からは閾値の有無について科学的・確定的に言及することはできず、その根拠となった知見の確認も難しいことなどを考慮すると、モデルの検証は困難であると考えられた。もとより、仮説から得られた結果の適用については慎重であるべきであり、今回の食品健康影響評価においては、実際のヒトへの影響を重視し、根拠の明確な疫学データで言及できる範囲で結論を取りまとめることとした。

うーむ。

これはリスク学関係者ならかなりショックを受ける文章だと思います。

これは事実上、食品安全委は規制科学の領域から撤退します」ということを宣言しているに等しいからです。

議論の流れ的に必要なので「規制科学」という言葉をちょっと説明します

ここで「規制科学ってなんすか?」と思う方も多いかと思いますので、ちょっと説明しておきます。

まず知っておくべきことは、規制科学(レギュラトリーサイエンス)という言葉は、さまざまな「俺定義」が存在するのでとても面倒くさい言葉であるということです。なので本来ならば使いたくないくらいなのですが、他に適当な言葉がないのでしぶしぶ使っていきます。

これから私が書く「規制科学」の定義にたいして「それは違う!」と思う方も多いかもしれません。ので、これはあくまで今回のエントリー限りの「定義」ということでご理解いただればと思います。

はい。以上の留保付きで「規制科学」をあくまでもざっくりと説明すると、以下のようなイメージになるかと思います:

左側がいわゆる「サイエンス」で、右側が「管理行政」、その2つをつなぐための応用科学が「規制科学」というかんじです。

化学物質のリスク管理の分野を例にとると、ここで「サイエンス」は「動物を用いた毒性試験や疫学」などが含まれます。一方、「管理行政」には「基準値の設定やそれに基づく規制」が含まれることになります。

一般に、この「サイエンス」と「管理行政」というのはその依って立つ文脈がかなり異なるので、そのまま結びつけることはできません。化学物質の例では、「サイエンス」から出てくるのは「室内毒性試験においてマウスが10%死ぬ濃度」みたいな数値なのですが、この数値がそのまま管理行政における「基準値」として使えるかというともちろんそうではありません。

そこで、この「サイエンスの文脈(毒性試験においてマウスが10%死ぬ濃度)」と「管理行政の文脈(基準値)」とをどう繋げるかについて考える必要がでてくるわけです。で、ざっくり言うとこの「どう繋げるかについて考える」ことが規制科学の領域になるわけです。

放射性物質のリスク評価/管理でいうと、ざっくり言うと100mSV以上の疫学データにより語れるところまでは「サイエンス」の領域ですが、100mSV以下の低線量影響の部分については「規制科学」の領域になるといってもよいかもしれません。ざっくりと図にすると以下のような感じです:

ICRPの線形モデルでは、100mSV以下では線形外挿を使って影響を評価することになっています。この「100mSV以下の影響は線形である」という仮定(モデル)は、実際にはサイエンスというよりも「約束事(便宜的合意事項)」であるといったほうが現実に近いかもしれません。このように、一般に規制科学とは「サイエンス」と「約束事(便宜的合意事項)」の両者から成り立つものであるといえます。

(この「約束ごと」って誰と誰との約束事なんじゃい、そんな約束した覚えねえぞコラとお思いの方も多いかと思いますが、そのあたりはまた改めて別のエントリーで論じてみたいと思います)

食品安全委員会の規制科学の領域からの撤退(してるのしていないのどっちなの)

というわけでもともとの話に戻りますが、今回のWGでは:

もとより、仮説から得られた結果の適用については慎重であるべきであり、今回の食品健康影響評価においては、実際のヒトへの影響を重視し、根拠の明確な疫学データで言及できる範囲で結論を取りまとめることとした。

という考えが示されています。これは、事実上この図の

"サイエンス"の部分しか言及しませんよ、ということになります。

ここでおそらくリスク研究関係の人がまずおそらくツッコミたくなるのは:

化学物質の場合には『仮説から得られた結果の適用』による低用量側外挿なんて毎回やってるじゃん!

という点です。

実は、食品安全委員会は化学物質の場合にはいつも、『仮説から得られた結果の適用』によってマウスなどを用いた毒性試験結果からヒト健康に関する基準値を決めてるんですよね。さらにいえば、実はこの放射線の評価書においても、ウランについては化学物質で行うような手順で基準値(TDI:耐容一日摂取量)を算出していたりします:

この辺の話は専門の人以外にはなかなかとっつきづらいと思うのですが、例として同評価書におけるウランの基準値(TDI)の決定の計算フローをざっくり書くと*1

  • ラットの91日間飲水投与試験における腎尿細管の変化の「最小毒性量」をエンドポイントとして採用(0.06 mg/kg体重/日)
  • →最小毒性量から無毒性量への外挿のために値を不確実係数"3"で割る(0.02 mg/kg体重/日)
  • →ラットとヒトの種間差を考慮するために値をさらに不確実係数"10"で割る(0.002 mg/kg体重/日)
  • →ヒト内の個体差を考慮するために値をさらに不確実係数"10"で割る(0.0002 mg/kg体重/日)
  • →基準値(TDI)として「0.0002 mg/kg体重/日」が算出

のようになっています。このような作業は事実上、『(種間差・個人差の大きさなどに関する)仮説から得られた結果を適用する(値をそのつど不確実係数で割る)』ことにより毒性影響の低濃度側外挿を行っていることに相当します。

この点を踏まえると、「仮説から得られた結果の適用については慎重であるべきであり」という文言は食品安全委員会が今まで化学物質においてやってきたこと/同評価書でウランに対してやっていることと自己矛盾しているようにも思えます。

都合が悪いときだけ『仮説から得られた結果の適用については慎重であるべきであり』なんてうそぶかれてもなあ。。。と思っちゃうんですよねえ。

(まあ「放射線の影響については社会的重要性が段違いに高いのでより慎重であるべき」というのなら分かりますが、後述のとおりICRPの線形モデルの代わりに採用するのがよりによって「有意差主義」なので。。。)

食品安全委員会が規制科学の領域から撤退したら誰が規制科学の領域を担うのよ?

また、上記の食品安全委員会の「撤退」を見てリスク研究関係の多くの人がおそらく思うのは:

食品安全委員会が規制科学の領域から撤退したら誰が規制科学の領域を担うの?

という根本的な疑問です。

おそらくこの答申を受けとる「管理行政側」の人は単なる行政官だと思いますので、彼らが「規制科学」の領域を専門家レベルで担うのはおそらく無理でしょう。

そう考えると実際の解決策としては、管理行政側の行政官が、現行の食品安全委員会とは別の、規制科学の領域を担う「食品安全委員会Z」を(おそらく非公式・非公開で)召集して別途判断するしかないのではないかと思います。

これじゃただの二度手間というか、非公開となる分だけむしろ後退というか、ていうかこれなら現行の食品安全委員会いらなくね?という話ですよね。

低線量線形外挿を採らずによりによって「有意差主義」なのかよ... orz

この評価書を読んでいてさらに考えさせられたことは、ICRPの低線量線形外挿を採らずに、統計的有意差を基準に議論をするという「有意差主義」を採っていたことです。

具体例としてこの評価書のもっともキモとなる要約の部分(8p)を引きますと:

疫学データには種々の制約が存在するが、そうした制約を十分認識した上で、当ワーキンググループにおいては、入手し得た文献について検討を重ね、研究デザインや対象集団の妥当性、統計学有意差の有無、推定曝露量の適切性、交絡因子の影響、著者による不確実性の言及等の様々な観点から、本評価において参考にし得る文献か否かについて整理した。その結果、成人に関して、低線量での健康への悪影響がみられた、あるいは高線量での健康への悪影響がみられなかったと報告している大規模な疫学データに基づく次のような文献があった。


(1) インドの高線量地域での累積吸収線量 500 mGy 強において発がんリスクの増加がみられなかったことを報告している文献(Nair et al. 2009)

(2) 広島・長崎の被爆者における固形がんによる死亡の過剰相対リスクについて、被ばく線 量 0~125 mSv の群で線量反応関係においての有意な直線性が認められたが、被ばく線 量 0~100 mSv の群では有意な相関が認められなかったことを報告している文献 (Preston et al. 2003)

(3) 広島・長崎の被爆者における白血病による死亡の推定相対リスクについて、対照(0 Gy) 群と比較した場合、臓器吸収線量 0.2 Gy 以上で統計学的に有意に上昇したが、0.2 Gy 未満では有意差はなかったことを報告している文献(Shimizu et al. 1988)


以上から、本ワーキンググループが検討した範囲においては、放射線による悪影響が見いだされているのは、通常の一般生活において受ける放射線量を除いた生涯における累積線量として、おおよそ 100 mSv 以上と判断した。


なお、小児に関しては、より影響を受けやすい可能性(甲状腺がんや白血病)があると考えられた。


また、100 mSv 未満の線量における放射線の健康影響については、疫学研究で健康影響がみられたとの報告はあるが、信頼のおけるデータと判断することは困難であった。種々の要因により、低線量の放射線による健康影響を疫学調査で検証し得ていない可能性を否定することはできないが、追加の累積線量として 100 mSv 未満の健康影響について言及することは現在得られている知見からは困難であった。

以上をまとめると:

  • 大規模疫学研究により放射線による影響が見出されているのは累積線量としておおよそ100mSv以上から
  • 100mSv未満の健康影響について言及することは現在の知見からは困難

ということですね。

で、この話において非常にスジが悪いのが「有意差のある・なし」を基準にリスクの議論をしていることです。

実は私は個人的には「リスク評価においては有意性検定は極めて有害なので即刻追放すべし」と強く考えています。この話をマジメにすると長くなる*2ので手短にいうと、「有意差のある・なし」にもとづきリスクを議論することの大きな問題点としては:

  • (1)「影響が見出されていない(有意差がない)」ことと「影響がないこと」が混同されやすい
  • (2)「効果の大きさ」に関する議論が抜け落ちてしまう

ことがまず挙げられます。この2点はリスク評価において最もキモとなる部分に関わるので、有意差検定をリスク評価に使うことには大きな実害が伴いやすいのです*3

(STSっぽくいうと、いわゆる"有意水準5%"というルールは「科学/ジャーナル共同体における一般的な妥当性境界」であり、それは「リスク評価/管理の分野における妥当性境界」とは本来全く何の関係もねえんだよ!!!!!と叫びたくなることがよくあります。いわゆるリスク学関係者でもこの辺りのことがわかってない人がけっこう多いんですよ。。。)

ハードな「サイエンス」の立場を堅持するならば「おおよそ100mSV以下のいずれかの値」と答申するべきじゃないの?

さて。上でみた問題点のうち、

  • (1)「影響が見出されていない(有意差がない)」ことと「影響がないこと」が混同されやすい

ということを念頭に、そこを混同せずに「科学的に」以下を検討してみましょう:

  • 大規模疫学研究により放射線による影響が見出されているのは累積線量としておおよそ100mSv以上から
  • 100mSv未満の健康影響について言及することは現在の知見からは困難

もし本WGが「規制科学」から撤退して「サイエンス」の部分のみに立つというのであれば、上記の知見が端的に示しているのは「おおよそ100mSV以上では影響があるという知見があり、おおよそ100mSV未満で影響がないという知見はない」ということなります。そのため、答申は:

放射線の影響がゼロであること(ゼロリスク)を目指すならば、累積線量はおおよそ100mSV以下のいずれかの値に設定されるべきである

となるのが順当でしょう。

もしWGが「規制科学」の領域から撤退し、「科学的確かさ」のクローゼットの中に留まることにこだわるのならば、最低限こういう形の表現("mSV以下のいずれかの値")を用いるのがより"科学的な"対応であると思います*4

「影響が見出されていない(有意差がない)」ことと「影響がないこと」は明確に分けて考えなければ"科学的"とは言えません。

有意差主義」により「影響の大きさ」に関する社会的合意がまるごとスキップされちゃう

上記を読んで、「いやそもそも『放射線の影響がゼロであること(ゼロリスク)』を目指すのが間違いだよね」とお思いの方もいるかもしれません。

私もその意見に賛成します。そもそも本来ならば、このWGは放射線の線量と影響の大きさの関係を量的に捉え、その(食品中の)許容限度を探ることが使命なのです。

しかしながら、本WGが残念ながら「有意差主義(有意差のある・なしで判断)」を採ってしまったので、「どの程度までの影響を許容限度とするか」の量的な議論が全く抜け落ちてしまっているのです。「有意差主義」の:

  • (2)「効果の大きさ」に関する議論が抜け落ちてしまう

という大きな実害がモロに出ている形です。


これはリスクガバナンスを考える上でものすごく由々しき事態だと言えるでしょう。なぜなら、このことにより事実上、『許容できる影響の大きさ』についての社会的合意に関する議論がまるごとスキップされてしまっているからです。

そんな一番大事なところの議論をしないでいったいどういうつもりなのよ!!!

と私は思いますが、穿った見方をすると、もしかしたら「許容できる影響の大きさ」の議論を正面からすることを避けるためにICRPの線形モデルを採用せずに、「有意差主義」を採ったのかなあ、とかも思ってしまいます。

どうなんでしょうか。。。

私の疑問のまとめ

というわけでまとめますと私の疑問は:

  • 本WGが規制科学から撤退したら誰が規制科学やるの?
  • なんでICRPの線形モデルを採らないの?
  • そんでよりによってなんで「有意差主義」なんてスジの悪い方針を採るの?
  • それならそれで"科学的"に「100mSV以下のいずれかの値」って答申したほうがいいんじゃない?
  • もっとも重要な「許容できる影響の大きさ」の議論をしないなんていったいどういうつもりなの?

というところです。はい。


...と、今回は「疑問編」について書いてきましたが、正直このWGに同情しているところも少なからずあります。

ので、次回はこのシリーズの最終回として「同情編」になります。↓
同情編のための前置き:許容可能リスク・ALARA・予防原則・汚染者負担原則 - Take a Risk: 林岳彦の研究メモ
放射性物質の食品健康影響評価WGの評価書案を読んでみた(その3・同情編) - Take a Risk: 林岳彦の研究メモ

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*1:詳細は評価書p222参照

*2:そのうち改めて長編エントリー書きます

*3:事情通の方は、NOAEL/LOAELに基づく通常のリスク評価も有意差の「ある・なし」にもとづき議論しているじゃんか、と思うかもしれません。それは確かにそうで、個人的にはNOAEL/LOAELよりBMDを用いるほうがはるかに良いと思っています。ただし、公的な試験ガイドラインに基づく毒性試験では、試験条件による「縛り」により、NOALE/LOAELと「効果の大きさ」に一定の対応関係があるので、それほどその実害は大きくはならないと考えられます。一方、試験ガイドラインにもとづかない毒性試験や疫学データの場合には、NOALE/LOAELと「効果の大きさ」に一定の対応関係があるとは事前に期待できないので、有意差検定の枠組みを採ることの危険性はその分かなり高くなります。

*4:"生涯100mSV"という値自体の是非はとりあえず措くとして