Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

第11回内分泌かく乱化学物質の健康影響に関する検討会議事録

第11回 内分泌かく乱化学物質の健康影響に関する検討会議事録(平成13年)が面白かったのでメモしておきます。

内山先生の以下の発言が特に含蓄あり*1

 そこで、これは余り長く時間かけたくないのですけれども、まずはリスクの問題を議論する中で、コミュニケーションが1つの重要なファクターと考えられていないというのが日本だけだと私は思うんですね。日本だけというより、この委員会だけかもしれません。なぜかというとリスクアナリシスという言葉です。リスクアナリシスの中にはリスクアセスメントとマネジメントとコミュニケーションの3つがセットになって入っているということは現在では既に常識であります。
 
 リスクアセスメントというのは、今までずっとお話がありましたように、科学者が科学的データに基づいて、科学的結論を出すということのできるステージなんですね。


 その次のリスクマネジメントというのは、アセスメントで得られた結論に基づいてどういう対策を立てるかということです。その対策というのには、先ほどの神沼のお話したペーパーにも入っておりますけど、そこには非常にいろいろな価値観が入っています。ということは、要するにいろいろな専門家の立場もあり、いろいろな人の環境とかそのほかの立場もあり、そこにいろんな価値観が入ってきて、対策というものの判断が行われるということです。


 ところがその次のコミュニケーションというのは、これはすべての人がそのリスクについていろいろなことを知るということです。そうなると、それは科学者だけがやるのではない。それから、いろいろな立場の違った専門家だけがやるのではない。そうではなくて、すべての人がそれに参画して、自分でわかるような結論を出さなくてはいけないわけです。それをやるのは誰かということが一番の問題でして、コミュニケーションというのは、サイエンティストがやるものではないと先生方が思っておられるとしたら、これは大間違い。なぜかというと、コミュニケーションというのは、サイエンティストと一般の人・非科学者とを結ぶ非常に重要な情報なわけです。


 それはどちらの人がつくるのかと言われたら、それでは一般のサイエンティストでない人がつくればいいということをまさか考えていらっしゃらないだろうと思います。そうなるとコミュケートをする内容は実は科学者がつくらなければならない。科学者がつくらなければならないのですけれども、それをつくるだけの準備もなければデータもなければ経験もないというのが今の現状だろうと思います。したがって、リスクコミュニケーション対策というのが1つ作業班として取り上げられたのだと思っているわけです。


 ですから、この話は詳しく申し上げるとかなり時間かかるので大変恐縮なんですけれども、コミュニケーションというものを、誰かほかの人がやればいいと思っていただかないように、先生方がずっとこれまでお話になったデータをどう解釈するかというのは、自分たちではないのだと思わないようにしていただきたい。そのデータから何を、明日すればいいかということを指示するのは、それは行政でもなければ一般の消費者でもないのです。それは実験を担当した先生方に言っていただかなければ結論は出ないのです。


 ところが今までのお話の中で、もちろん結論が出ているものもありますけれども、わからないことがたくさんあるわけです。わからないことがたくさんある場合に、科学者というのは結論を言わない。「例外がある」あるいは「不明である」、「これはデータがない」、「これは何も言えない」。それは科学的には正しいことなんですけれども、コミュニケーションということが絶対必要だという立場からすれば、コミュニケートする内容をつくるという意味では全く何もやってないということと同じことなんです。コミュニケーションは「誰から誰へ」と先ほど申しましたが、これはこの紙には、「行政から国民へ」と書いてありますが、この行政というのは、何も行政をやっている担当者の事務方がという意味ではありません。これはこの検討班ということだと御理解いただきたい。行政がということは、行政研究をやっている研究者だと御理解いただきたい。

*1:抜粋的引用なので興味のある方は是非全文を読んでみてください