Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

フィッシャーの「統計的方法と科学的推論」が面白すぎる(その2)

また引用メモ。

「はしがき」の直後の「第2章 初期の試みとその難点」の、第1節「1. トーマス・ベイズ*1」の冒頭を引用(強調は引用者)。

科学的推論の過程、すなわち実験研究者が理解している意味での現実の世界を理解する方法に、合理的な説明を与えようとした最初のまじめな試みとしては、われわれの知る限りでは200年以上ふりかえり、18世紀の前半に生きたイギリスの牧師トーマス・ベイズ師にまでさかのぼらねばならない。ベイズの研究が重要性が評価されるようになったのは、実はようやく今世紀になってからで、統計学と総称されている研究分野が急速に展開しはじめてからであった*219世紀第4半世紀の世論を代表している『イギリス伝記辞典』には彼の名がのっていない。さらに驚くべきことには、彼の父ジョシュア・ベイズ(1671〜1746)の名はこの辞典に含まれているのである。とはいえ、息子のトーマスは父の存命中も20年間王立協会会員であり、したがってひとかどの数学者として知られていたのである。実際『フィロゾフィカル・トランザクション』にのった数学論文は、彼が独自の思想家として一級の人物であったことを示し、また論文”偶然の理論における一問題を解くための試み”において開始された、真に革命的な仕事を企てるのに十分な資格を備えていたことを示している。これは、1761年彼が死んだのちまもなく、1763年に『フィロゾフィカル・トランザクション』に発表された。


この最初の試みが、まさにこの時期になされたということは、きわめて当然のことであった。100年以上にわたって教養ある人々は、慎重に遂行される実験が、王立協会の標語でいえば”自然の知識の改良”のための基本的な方法であるとみなすようになってきていた。さらに、アイザック・ニュートンやあるいはトーマス・ボイルのような人々によって、自然法則を数量的に表現する方法の可能性が見事に示されていた。数量的な観察試料から適切な推論あるいは結論を引き出すことのできる論証過程の性質が、考察されるべき時期が熟していた。主要な困難はこのような推論の不確実性にあったが、ちょうど幸いなことに、この時期に確率の概念の認識と、それに関する数学的法則が、賭け事に応用されながら発達し、このような不確実性を規定しはっきりと表現する方法を提供したのである。イギリスでは、アブラハム・ド・モラブルの『偶然の理論』のような本が、この問題についてのベイズの考察に、極めて直接的な刺激となったに違いない。


ベイズの論文は死後しばらくして、友人のリチャード・プライスによって王立協会に提出された。プライスは、この方法の多くの論証と例題とをつけ加え、さらにベイズの序文を、彼自身の前置き的解説におきかえたようである。われわれがベイズ自身の序文を見ることができないのは悲しむべきことである。というのは、ベイズは彼の論証のうちに含まれている公準が、注意深い読者には疑問に思われるかも知れないということを、明らかに認めていたからである。そうしてまさにこの理由によって、彼の試論が存命中に公表されなかったことは、ほどんど疑う余地がない。プライスは明らかにベイズ自身ほどにはこの疑点に重きを置かなかった。しかし彼はベイズのなしたこと、あるいはなそうと試みたことが、実験的精神の進歩にとってどれほど重要であるかを完全に評価していた。その論文の中心の定理は、どちらかと言えば学問的、抽象的な言葉でのべられており、それを容認することによって生ずる人間の思考に対する大きな影響の結果について詳細に論じられていなかったのであるが。

*1:そう、この本の本文はベイズへの言及から始まるのですよ

*2:この文章、めちゃくちゃ既視感ありますよね!