環境リスク業界にいると、化学物質の毒性に関する研究についての「マスメディアにおける紹介記事の内容」とその言及もとである「研究論文において実際に書いてあること」の間のあまりのギャップに驚くことがあります*1。
それらのマスメディアの記事はある意味、出版された科学論文の「行間」を読んで解釈しているとも言えると思うのですが、そのような「行間読み」はどの程度まで許容されるのでしょうか?
行間読み:矢原先生の記事の例
例えば、先日から取り上げている蜂群崩壊症候群に関する矢原先生の記事では、Mullin et al. (2010)を紹介した上で
上記(引用注:Mullin et al. (2010))の論文は、農薬の影響についての証拠を補強したもの。
と書いていますが、実際のMullin et al. (2010)を読んでも「この論文の結果はミツバチの蜂群崩壊症候群に関する農薬についての証拠を補強した」とはどこにも書いてありません*2。実際にこの論文に書いてある文(強調引用者)は
It seems to us that is far too early to attempt to link or to dismiss pesticide impacts with CCD.」
であり、「農薬の影響を蜂群崩壊症候群(CCD)と関連付けする/あるいは関連付けを否定するのははるかに時期尚早すぎる」というものです。
そのため、ここでは矢原先生は敢えてMullin et al. (2010)の行間を読んで踏み込んだ発言をしている、と言えると思われます。
「行間読み」の功罪:功の部分
では、そのような「行間読み」は「悪」でしょうか?
ここには色々な見解があるかと思いますが、個人的には一概には「悪」であるとは思いません。その理由は、「科学論文ではかなり証拠を固めてからではないと確固たることは言えない」という側面があるからです。
これはサイエンスの運用としては妥当なルールですが、環境保全を考えた場合には「サイエンスとして確固たる結論がでたころにはもう手遅れ」という状況もしばしばあります。このような場合には、敢えて「行間を読む」ことで警鐘を鳴らすことも時には必要となるでしょう。
「行間読み」の功罪:罪の部分
では、そのような「行間読み」は常に「善」なのでしょうか?
これも、個人的には一概には「善」であるとは思いません。その理由は、無責任にそのような行間読みを許容してしまうと、しばしば全く意味のない誤解が社会全体に広がっていってしまうからです。これは、サイエンスコミュニケーションとしては相当にまずい状態です。
ここではそのような状況を風刺した記事の紹介(畝山さんのブログ記事)からの引用をしておます。
環境リスク業界に居る人間は、上の記事のネタを笑えるようで笑えません。こういうことは本当に良くあるので!
その警鐘を鳴らすのは誰か?:インセンティブ構造におけるバイアス
警鐘を鳴らすのは気持ちがよいものです。
と書くと語弊がありますが、一般論として研究者としてのキャリアを考える上で「警鐘を鳴らすことによって褒められる(あるいは予算が獲得できる)」ことはあっても「警鐘を鳴らさないことによって褒められる(あるいは予算が獲得できる)」ことは余りありません。
なので、インセンティブの構造として、研究者には基本的には「警鐘を鳴らしたがる」バイアスがあります*3。
そのため、誰もが警鐘を鳴らすことになり、あまりにも鳴らされ過ぎた警鐘はバズワード化していく傾向があるので注意が必要です*4。
また、あまりにも多くの余り重要でない警鐘が鳴らされると、本当に重要な警鐘が相対的に埋もれてしまうという実害も生じます。
「予防原則」の可能性と危険性:「行間読み」は慎重に
「科学的に確固たる結論がでる前に動く」というのはいわゆる「予防原則」という考え方に相当するかと思われます。Wikipediaの「予防原則」では
予防原則(よぼうげんそく)とは、化学物質や遺伝子組換えなどの新技術などに対して、環境に重大かつ不可逆的な影響を及ぼす仮説上の恐れがある場合、科学的に因果関係が十分証明されない状況でも、規制措置を可能にする制度や考え方のこと。
と定義されています。
予防原則は大変重要な考え方ですが、「確固たる証拠もないままに(国家)権力が発動することを許容する」という側面もあるので、その可能性とともに危険性も大きいものです*5。
そのため、リスクガバナンスが成熟していない状態で予防原則に則り何かを運用することには慎重な対応が求められます。
そのことから、「行間読み」を敢えて行う場合には、安易に「予防原則的正当性」に倚りかからず、その都度その証拠の程度を見極めながら慎重な判断のもとで発言していく必要があると思われます*6。
関連図書
ほんとうの「食の安全」を考える―ゼロリスクという幻想(DOJIN選書28)
- 作者: 畝山智香子
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