Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

意外な展開:自然死産率の生データを見てみた

さいきんtwitter上で、「1960年代において大気圏核実験の影響で自然死産率が上昇している」という情報を見かけました(本記事の論旨の前提となりますので、ぜひ以下URLをご参照の上で以下の記事をお読みください)。

http://twitpic.com/4gcyc6

研究者ならば生データをチェックせねばと思い、「人口動態統計」から生データをダウンロードしたりして調べてみたところ、ちょっと自分でもかなり意外な結論にたどり着いたのでまとめてみます。(長くて論旨がウネウネしますがすみません。お急ぎの方は人は結論の節からどうぞ。)

手始めに:人口動態統計の生データのまとめ

まず、国立社会保障・人口問題研究所のサイトから自然死産率の生データをダウンロードしてみました。

http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Popular2011/T04-20.xls

これをグラフにしてみると以下のようになりました。


ここでは、青の系列が「死産率(出産数1000件に対する比率)」を表しています。死産の定義は

死産は妊娠満12週(妊娠第4月)以降の死児の出産で,死児とは,出産後において心臓膊動,随意筋の運動及び呼吸のいずれも認めないものをいう

となっています。

この「死産率」を解釈する上で重要なのが、1950年より前は「人工死産(妊娠12週以後の人工中絶)」がカウントされていなかったのが、1950年から「人工死産」も死産としてカウントするようになったということです。そのため、1950年から「死産率」そのものが劇的に増えているように見えます。

核実験などの影響を見たい場合には、「自然死産率」に着目するということでとりあえず良いでしょう。また、1950年より前の「死産率」は「自然死産率」とみなしても差し支えなさそうです。

このグラフを見ると、たしかに戦前は一貫して減少していた「自然死産率」が、50年代から60年代にかけて増加しているように見えます。

では、この原因は何でしょうか?

大前提のおはなし:このグラフから因果関係について断言するのは無理

原因についての議論をする前に、一応、大前提として「そもそもこのグラフから何らかの因果関係について断言するのは無理」ということを言っておきます。

何故かというと、上記のようなグラフのパターンを生み出しうる潜在的な要因は無数にあるので、本当の原因(因果関係があるもの)と原因に見えるけど違うもの(相関関係しかないもの)を見分けるのが非常に難しいからです。

例えば、DDTなども戦後から60年代にかけて非常に使われているので、上記のグラフのパターンとDDTの使用量にはおそらくある程度の相関関係が見られるでしょう。ただし、そのような相関関係が因果関係を意味するとは限りません。

本来ならば、この辺りの相関関係と因果関係の見極めが一番大事なところなのですが、今回はそこの辺りは敢えてスルーして議論を進めていきます。(でも本当は大前提がある上での議論だということを忘れないでくださいね。。。)

考察:放射性物質の降下データと比べてみる

では、とりあえず相関関係と因果関係の話は置いておいて、死産率のデータと放射性物質の降下データを比べてみたいと思います。

東京・つくばにおける放射性物質の降下データとしては以下のようなデータがあります(こちらより引用)。


これを見ると、50年代から60年代に増加してその減少するという、グラフの大まかな経時的パターンは自然死産率のデータと整合するように思われます。

しかしながら、数字の詳細を見てみると、自然死産率の増加パターンの方が放射性物質の降下パターンより数年やや「先行」しているような印象もあります(あくまで印象)。

例えば、自然死産率のピークは1961年なのですが、放射性物質の降下量のピークは1963年あたりにあり、ちょっとズレているような気もします。また、数字を見ると自然死産率の増加のトレンド自体は戦後初めてのデータである1950年時点から見られており、放射性物質の降下量のトレンドよりも少し先んじているのではないかなぁ、という気もします。(*ただしこれは、自然死産率のベースレートが右さがりなので、ピークが左寄りに見える傾向によるものと説明できるかもしれません)

また、自然死産率のピークの1961年はちょうど降下量の”谷”になっている部分に相当します。この1961年あたりの”谷”のパターンは青森北海道の降下量データにも見られるので、これは東京だけの傾向ではないように思われます。上記の降下量のグラフの軸は対数なので、”谷”の部分の降下量は周りに比べてかなり小さく、自然死亡率のパターンに反映されていないというのはちょっと整合性に欠けるような印象を受けます。(*まあでもここはデータの精度と変動幅に比べて細かい議論をしすぎなのかもしれません)

そもそものことを言えば、人体への影響は放射性物質の降下そのものというよりも、降下後に食物などを通して内部に取り込まれることで起きるかもしれません。それを考えると、降下量のピークの「後」に自然死産率のピークが見られるほうが因果の順番を考えると自然かもしれませんが、1963年の降下量のピークの「後」には自然死産率のピークは特に見られないようです。「1966年にピークがあるよ!」と思われる方も多いかと思いますが、これはほぼ「丙午」の効果であることが濃厚なので、無視したほうが良いかと思われます(丙午の効果についてはNATROMさんの記事(1)(2)をご参照ください)。


というわけで、放射性物質の降下データと比べてみると、大体は合っている気もするが、細かいところは違っている気もする、というのが私の印象でした。さっきから「気もする」という表現が多いですが、そもそもそれくらいの印象論でしか語りようがないなーというのが正直なところです。

対立仮説:社会的背景によるものかも?

では、ちょっと違う方向から考えてみましょう。

戦後に「自然死産率」が上昇した原因として、当時の社会的な背景などにより「人工死産」を「自然死産」としてカウントしていたケースが少なからずあるのではないか、という意見もあるようです。

日本では古くから妊娠中絶が非常に多く行われてきたという文化的な背景があります。1955年の人工妊娠中絶件数は約117万件(全妊娠のおよそ2.5人に1人)という途方も無い数であり(Wikipedia)、戦前には新聞に堕胎薬の広告が載っていたというくらい人工妊娠中絶が日常的に行われていたようです。1948年に妊娠中絶が合法化されるにあたって、それまでグレーゾーンの存在として行われていた中絶を巡る"業界"が大きく変化したと想像され、その過渡期の中で本当は「人工」であったものの何割かが「自然」とカウントされていたということも、もしかしたらあったかもしれません。

さて、この「虚偽カウント説」は本当に想像に過ぎませんが、データからその可能性を推し量ることはできるでしょうか?

ここで思考を整理して二つの仮説を並べてみます。

  • (1)「環境要因による疾病説」(何らかの環境要因に起因する疾病により自然死産率が上昇)
  • (2)「虚偽カウント説」(人工死産率を「自然」とカウントすることにより自然死産率が上昇)

ここで私は、「もし(1)が正しいならばどういうデータが予測されるだろうか?」と考え、以下の作業仮説を立ててみました。

もし、「自然死産」が胎児あるいは母体の何らかの機能不全によるものであれば、自然死産率だけではなく、生まれてからの新生児死亡率にも何らかの影響が出ているはずである

これはそれほど突飛な仮説ではなく、何らかの形で胎児や母体がダメージを受けているのならば、死産率を押し上げるのと同時に、新生児死亡率も押し上げる作用をもつだろう、と考えるのはそれなりに自然な考えだろうと思われます。

上記の作業仮説に基づき、新生児死亡率のデータについても調べてみました。

意外な展開:新生児死亡率のデータを探したら周産期死亡率の内訳データもあった

新生児死亡率の統計データを探したところ、winetというサイトに人口動態統計に基づく統計データがありました。

http://winet.nwec.jp/cgi-bin/toukei/load/bin/tk_sql.cgi?hno=33&rfrom=1&rto=20&fopt=3&bunya=01

ここで嬉しい誤算だったのは、このデータシートには新生児死亡率だけではなく、周産期死亡率とその内訳(妊娠28週以降の死産率+早期新生児死亡率)のデータも含まれていたことです。

早速それらをグラフにするとこんな感じになりました(死亡率などは出生1000に対して)。


あらら?

ちょっとこのグラフを見て正直ちょっと驚きました。「妊娠28週以降の死産率」を見ると、50-60年代での増加パターンが見られません(これは想定外でした)。また、早期新生児死亡率にも新生児死亡率にも明瞭な増加パターンは見られませんでした。

正直言って「?」

という感じです。

いままでの状況をまとめると、つまり:

1950-60年代に増加しているのは「妊娠12週以上28週未満における自然死産」だけ

ということになっているわけです。


これって、どういうことなんでしょうか?

自然死産率の内訳をみる:「28週未然の自然死産数」の報告漏れが全ての原因かも

ここで状況を整理するために、自然死産率を内訳別にプロットしてみました。ここでは「自然死産率=28週未然の死産率+28週以降の死産率」となります。


まず一目みて分かるのは、1950-60年代に増加しているのはひとえに「28週未然における自然死産率」ということです。

そして、もっと重要なことは1950年の自然死産率が2003年とほぼ同じ"10"とという低い値になっているということです。

当然、1950年の医療水準が現在と同等のはずがありません。そこで推測すると、これはおそらく「1950年代から60年代初めくらいまでは、「28週未然における自然死産」では「死産届」を出さないケースが多く、報告漏れが少なからず起きていた」ということなのではないでしょうか。。。そしてその副産物として「山型」の自然死産率カーブが現れているのだと思います。


「死産届」で検索してみると、Wikipediaには

昭和21年(1946年)厚生省令第42号(死産の届出に関する規程 )によって、死産であった場合は、死産証書に添えて死産の届出(死産届)が父母又は一定の範囲の関係者に対し義務付けられている。


なお、この場合の死産とは「妊娠12週以後の死児の出産」を指し、医学上の定義でいうところの後期流産(自然妊娠中絶および人工妊娠中絶)を含む。法令上、母の氏名の届出は必要だが、死産した胎児については戸籍に記載されることはないので命名を届け出る必要はない。

とあります。おそらく、このうちの特に「妊娠12週以後28週未満の死児の出産」の場合に死産届を出すことが、戦後しばらくは徹底されなかったということなのではないでしょうか。(そりゃだれだって本当なら後期流産の後に死産届なんてわざわざ出しに行きたくないもの!)

あと、戦前に比べて戦後で自然死産率が上がっているのもこの説で整合的に説明できると思います。おそらく戦前では「妊娠12週以後28週未満の死児の出産」では死亡届を出す法的義務はなかったのではないでしょうか? これはまったくの推測ですが。

結論:とりあえずこのデータから何か言うのやめたほうがよいです

というわけで、データを色々見た結果としてたどり着いた私の結論は、「1950-60年代における自然死産率の増加(山型のカーブ)は、50年代はじめから60年代にかけての「妊娠12週以後28週未満の死産届」の提出漏れによる死産率の過小評価に起因するものであると思われる」ということになりました。

少なくともとりあえずの提言としては、「このデータから何か言うのはもうやめたほうがよいですよー!!」ということは声を大にして言いたいです。(本当に報告漏れか否かに関わらず、1950年代における28週未然の自然死産率が明らかにありえないほど低い値になってるのは確かです!)


しかしまさかこんな結論にたどり着くとは思いませんでした。。。やれやれ。
でもちょっとパズルが解けた感じで嬉しいです。(計算に間違いがなければ、だけど)