Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

村上陽一郎の記事が個人的に衝撃的だった件

食の安全情報blogさんの以下の記事:

放射線リスクの真実 〜ジャンクサイエンスに惑わされないために - 食の安全情報blog

に触発され今月の中央公論を買って読んでみたのですが、個人的には上記の記事*1よりも、その後の村上陽一郎のインタビュー記事が衝撃的でした。

インタビュー全体のタイトルは『「安全学」の提唱者に聞く フクシマ以後、いかに「安全」を確立するか』です。


これがどう衝撃的だったかというと、わたしの先入観では記事の内容はとうぜん「政府と科学者に対する批判」が中心になるのだろうと思っていました。しかし、実際に読んでみたらあまりの発言の『保守』ぶりにかなりびっくり、というかむしろ読んでる自分が多少引きぎみになるほどでした。

村上陽一郎ってこういう人だったっけ???

という感じでした正直。(自分が気づいていなかっただけで昔からこういう人だったのかも?)

以下、詳細は実際に読んでいただくとして、インタビュー記事の節立てを基に私の印象に残った部分を抜粋的に引用していきます(強調は引用者。見出しは元記事の節タイトルのママ)。

リスクを語ることはタブー

安全マニュアルがあること、つまりリスク管理をしていることが、その現場が危険であり、危険であるから否定しなければならない証拠であるという考え方が日本社会に蔓延っていました。


こうしたこともあり、原子力の世界では、リスクに対して備えをしておくことを公に議論できず、こういうリスクが考えられるから、こういう対策を講じているということも公表できなかった。だから、自分たちの世界だけでリスク管理をしていた。


よく隠蔽体質、あるいは「原子力ムラ」といわれますが、たしかにそういう傾向があります。しかし、その一方で社会の側も原子力をムラの中に閉じ込めてきたという側面があることも気づいておいていいとは思います。

おおお。いま「原子力ムラ」を部分的にでしろ擁護するとは勇気ありますよね。。。

安全神話というもの

技術者であれば誰でも「絶対安全」とは決していわない。だから、もし安全神話が原子力関係者によって故意に作りあげられたというのであれば、おそらく、そこにはやや曲解が含まれているのではないかと思います。

おおおおお。言うなあ。

津波対策への思い込み

あえていえば、今回の福島第一原発でさえも、スクラムまでは、とにかく何とか無事に済んでいる。二号機の炉の一部に亀裂があり、それが揺れによる可能性が否定できないようなので、100%プロテクトできたかといえば、いえないかもしれない。しかし、基本的には福島第二原発でも女川原発でもスクラムはとりあえず尋常にいっている。


問題はIAEA国際原子力機関)の調査報告書が指摘したように、津波のリスクに対する対策について、さらなるデータを集めてsafer、つまり「より安全」な方向に向かってたゆまざる努力を続けていたかと問われたときに、残念ながら、私がいた原子力安全・保安院も含めて、その点に関しては手落ちがあったとはいわざるをえない。いま直接的に責任を負う立場ではありませんが、そういう立場にいた人間として大変恥ずかしい思いを隠せません。


日本の場合、原子力発電所はすべて海辺にある以上、当然ながら、相当の津波対策はできているだろうと実は私は思い込んでいたし、今回その思い込みが裏切られたという点では、本当に残念だし、苦しんでいます。

率直な反省の弁。

玄海町長による大人の判断

七月十一日、政府は原発のストレステストを行うことを発表し、玄海原発の再稼働も延期されることになりました。自民党の石原伸晃幹事長のように「集団ヒステリー」とまではいいませんが、脱原発の世論が高揚した状況下で、七月四日に玄海原発の再稼働を了承する決断をした町長に初めて大人の判断を見た気がしました


それはどういうことかといいますと、玄海原発(のみならず一般に)は、これまで安全に運転されており、福島第一原発の事故があったからといって、定期検査で停止中に何か根本的な変化が起こったわけではない。だとすれば、むしろ再稼働を拒否することの方が非合理ではないでしょうか。(以下略)

ここは相当踏み込んだ発言ですよね。この発言は覚悟いるなあ。

「転ばぬ先の杖」原則

いま安心のために求められているのは、科学的合理性の中で何がいえるか、「ここまでは安全である」というメッセージをできうるかぎり明確な責任をとれる形で発しつづけることです。(以下略)

おおお。まさか科哲の人がこの期に及んでこんなに「科学的合理性」を信用しているとは思いもよらなかったですよ。。。

リスクは原発だけではない

脱原発論は、自然エネルギーの可能性を重視しますから、原発の電力のすべてを火力で代替せよとはいわないと思いますが、火力発電にも当然リスクはあります。停止中の火力発電所が故障なしに無事に続けて運転できるかということにも注意しなくてはいけないわけですし。原発だけがリスクを抱えているわけではないことを、社会は認識しておくべきだと思います。

おおお。そりゃそうなんだけど、いまのタイミングでそれをわざわざ言うのはちょっと勇気いりますよね。

で、インタビューの最後の締めはこう:

こうしたいろいろな面を考えながら、性急な結論、あるいは世論迎合的な政策を避けつつ、一歩一歩、「より安全」(safer)を目指し、また人々の「安心」をも得られる途を探しつつ前進するほかに、私たちの選択肢はないと思っています。

村上氏はたぶんポピュリズムがとてもお嫌いなんだろうなあ。。。

全体の感想:山本昌がいきなり148キロのストレートを胸元に投げてきた、みたいな

まあ個人的には全体の感想はとにかく「びっくりした」ですね。
山本昌だと思ってバッターボックスに入ったらいきなり148キロのストレートを胸元に投げてきた、みたいな。
(もしかして私が勘違いしていただけで昔からこういう人だったのかもしれない?)

ちょっと本当にびっくりしすぎて批判するべきなのか賞賛するべきなのかすらもよく分からないのですが*2、とりあえず村上氏は「理想主義的な立ち位置から現実的制約の中でベストエフォートしている人たちを叩く」みたいなありがちな「安全」ポジションはとらないのだな、ということは伝わりました。その点はとりあえず素直にリスペクトいたします*3


今回の結論:とりあえず今月の中央公論は買って読んでみるとよいと思う



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*1:上記の記事の内容はとても納得するもので、特に中谷内さんが居るおかげで良いバランスになってるなあ、と思いました。人選のセンスの勝利だなあ

*2:いやでもこの先のガバナンスに関する具体的な話が何一つないというのはどうかと思うなとりあえず

*3:うーん。さいきん科学者とかリスク学者とか科学技術社会論者の「社会的責任」って具体的には何なんだろう、どうすることなんだろう、と考えさせられますね。。。