Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

リスク評価は意思決定を支える柱の一つにすぎない

まだ論文がぜんぜん書けてない*1のでぜんぜんアレなのですが(参照)、自分の頭の中のモヤモヤを整理するために「リスク評価と意思決定」についてちょっと書いてみたいと思います。

今回は学問的に確立した話というよりも、実務寄りのリスク研究者としての経験的な感覚に寄り添いながら書いてみたいと思います。(リスク研究者の代表として書くわけではなく、あくまで個人的見解として書いていきます)

リスク評価は意思決定を支える柱の一つにすぎない

まず整理したいのは「リスク評価は意思決定を支える柱の一つにすぎない」ということです*2

私の頭の中のイメージをざっくり書くとこんな図になります:

つまり、リスクに関する「意思決定」は、一般論的にざっくり言うと「リスク評価」「費用対効果」「倫理(スジ)」の三本の柱によって支えられてるということです。


ここで「リスク評価」というのはたとえば「要因Xにより死亡リスクがY%上昇する」みたいなことをできるだけ科学的に整理する作業になります。ここの見積もりが間違っていると対策がものすごく的外れなことになりがちなのでこの作業は大事です。

いっぽう、「費用対効果」というのは「対策Xにはお金がY円かかる」というところを経済学的に整理する作業になります。費用対効果を考えないと持続可能なリスク削減というものがおぼつかなくなったり、また別のリスクを呼びこむという結果になったりするのでこの作業も大事です。

また「倫理(スジ)」というのは「要因Xにより死亡するのは非道だよね/スジとして納得できない」というところを議論する部分になります。人が人として生きていく上でこの部分も重要だというのはみなさんお分かりかと思います。

実務的には、「リスク評価」の作業自体にも「費用対効果」とか「倫理」とかが明示的にあるいは暗黙のうちに関わってくるわけですが(過去記事)、まあ大まかな見取り図的には上のような図になるのではないかと思います。


ここでの要点は、「意思決定」は「リスク評価」のメタのレイヤーにあるということです。

科学者が専門家として語りうるのはリスク評価まで

次に整理したいのは、一般論として科学者/医学者/放射線アドバイザーが専門家として語れるのは(せいぜい)以下の図の「リスク評価」の部分までということです。

それにもかかわらず、「費用対効果」「倫理(スジ)」およびメタレベルの「意思決定」の部分まで科学者/医学者/放射線アドバイザーが専門家として請け負っている(ように見える)というのが、いま現在放射線に関するコミュニケーションに関して生じているコンフリクトの大きな原因のひとつであると私は考えています。

そして、それは本質的には科学者/医学者/放射線アドバイザーたち個人の問題というよりも、「学問と政策的意思決定の関係」におけるガバナンス設計の問題と捉えるべきだといえるでしょう。

個人としてのリスクに関する意思決定に科学者はどこまで関与できるか

さて、ここまではひとくちに「意思決定」と書いてきましたが、個人レベルのそれと集団レベルのそれでは性質がかなり違います。ここではその整理をしてみたいと思います。


結論から言うと、ある個人がそのひと個人がもつ「リスク評価(リスク認知)」「費用対効果」「倫理(スジ)」に従って意思決定(自己決定)することの正統性は誰にも侵すことのできないものだと思います。

なので、科学者が専門家として個人の意思決定に関与するのは基本的に「大きなお世話」だと言えるでしょう。

ただし、個人が自由な自己決定を全うするための必要条件として、全ての選択肢に関する情報や技術は可能なかぎり開示されているべきであると言えます。例えば、「個人の自己決定」といっても、何らかの重要な情報が隠蔽されている上での自己決定だったら、「個人の自由な自己決定が全うできている」とは言えないですよね。

そのため、もし科学者がそのような個人の自己決定に潜在的に関わる情報や技術を持っている場合には、隠蔽せずに速やかに提供することが必要です*3。それが、科学者の努めといえるでしょう*4

(あと論点としては、そもそも自己決定における可能な選択肢自体が不当に押し付けられたものである場合、というのがありますが、その点については科学者がどうこうという問題とはちょっと違うレイヤーの問題であると思います)


また、本質的には「リスク評価」というのも、「自己決定に潜在的に関わる情報や技術を開示する」という営みであると言えるでしょう。(リスク評価は個人に対して規範を示すためのものではありません;過去記事

集団としてのリスクに関する意思決定に科学者はどこまで関与できるか

さて、では集団としての意思決定について考えていきます。この件に関しては、科学者は先ほども述べたように下の図の「リスク評価」の部分を中心に担うべきでしょう。ここでも、科学者が集団の意思決定に潜在的に関わる情報や技術を持っている場合には、隠蔽せずに速やかに提供する必要があります。

ここでややナイーブな理想論を言えば、「費用対効果」は経済学者が、「倫理」は哲学/社会学者が中心に検討すべきだと考えられます。そして、最も重要である最終的な「意思決定」は、「選挙によって選ばれたという侵しがたい正統性をもつ」政治家、および市民(当事者中心)によって行われるべきです。


ひるがえって現状を見ると、「放射線に関する政府の意思決定」に関する「リスク評価」を主に担っているのは科学者/医学者/放射線アドバイザーの方々のようですが、意思決定のサブプロセスとしての「費用対効果」や「倫理」の部分を誰が担っているのかは全く分かりません。

また、もっとも重要なメタのレイヤーとなる「意思決定」本体についてはさらに全く分かりません。例えば、放射線の許容水準としての20mSV/yについては、誰がどこでどうやって決めているのかはまったく不可視です。これは科学者/医学者/放射線アドバイザーが悪いというよりも、本質的にガバナンス設計の問題であると言えます*5

今回のまとめ

  • 「学問と政策的意思決定の関係」におけるガバナンス設計が本当のキモ(と私は思うんだけどどうかな)
  • 科学者が意思決定に潜在的に関わる情報や技術を持っている場合には、隠蔽せずに速やかに提供しましょう
  • そして俺はこんなエントリー書いてる暇があったらそろそろ論文を仕上げないとヤバい(参照

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*1:ヘタレっす

*2:あたりまえですが

*3:決して押し付けたらいけません

*4:ああでも怪しい情報を拡散するのはやめましょうね

*5:ある意味、科学者/医学者/放射線アドバイザーたちが弾除けにされているとも言えるかも