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Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

放射性物質の食品健康影響評価WGの評価書案を読んでみた(その3・同情編)

今回はこのシリーズの(その1・憤慨編)(その2・疑問編)にひきつづき、第9回放射性物質の食品健康影響評価に関するワーキンググループ(以下WGと略)による評価書(案)にたいする私の雑感について整理していきたいと思います。

今回は最終回となる「その3・同情編」です。今回もどうしようもなく長いっす。本当にすみません(ひたすら土下座)。


今回は、前回前々回のようなWG自体の批判ではなく、WG周辺の構造的問題について言及していきたいと思います。というのは、その構造的問題を解決しないかぎり今回のようなgdgdな事態は何度でもくりかえされるんだろうと思われるからです。


ちなみに今回の記事にでてくる幾つかの専門的な概念については、「予習編」として以下の記事:

同情編のための前置き:許容可能リスク・ALARA・予防原則・汚染者負担原則 - Take a Risk: 林岳彦の研究メモ

内においてあらかじめ説明しておりますのであらかじめ適宜ご参照いただければと思います(ぺこり)。

同情編の前口上:「マウンドに上がるということ」

いままで憤慨編疑問編でこのWGの批判を書いてきましたが、まあ何というか端的な話、「外野から何かいうのはまあ簡単だよね」という話でもあります。

もし

「じゃあお前ならそのマウンド(WGのこと)に立ったら何ができたのよ?」

とか

「そもそもお前ならそのマウンドに上がる勇気すらないんじゃないの?」

と私自身が問われたならば、「いやーまあこのWGに出るのは正直めちゃくちゃ気が重いっすよね」と、もうとたんに全力で逃げ腰になるような気もします、正直なところ。重すぎですものこのテーマ。本当に重い。

なので、大前提としては「専門家としてこのWGというマウンドに上がっている時点でもう基本的にリスペクトっす」という気持ちも正直あります*1

今回はそのようなリスペクトの気持ちも交えつつ、「もし自分がこのWGに委員として参加したとしたらどんな感じだろうか」というエア委員的な視点から書いていきたいと思います。

同情1:政府が「汚染者」であることによる利益相反状態

もし自分がこのWGに委員として参加したときにまず「ムズカシイなぁ...」と感じるだろう点は、今回はWGのクライアントである政府自体が「汚染者」であるという、特殊なケースである点です*2

基本的には食品安全委員会では(おそらく他の環境リスク関係の委員会でも)政府自体が「汚染者」であるというケースは殆んどなく、その意味で「クライアント(政府)自身」と「委員会」のあいだの直接的な利益相反関係はおそらくそれほど意識されることはないように思います*3 *4

しかし、今回は政府自体が「汚染者」であるため、このWGは平時よりも比較的かなりフラットではない構造の中でリスク評価を行うことになります。リスクの実態とは関係ない次元で、このWGが汚染のリスクを小さく評価することがクライアント(政府)の利益と一致すると見られるような中では、WG自体も痛くもない腹を探られやすくなるでしょう。これではWGの委員としてもリスク評価やリスクコミュニケーションが純粋に「やりにくい」ですよね。

この利益相反の構図を生み出したこと自体の責任はこのWGには全くありません。そのため、この点についてはこのWGに深く同情いたします。

(たとえば、チェルノブイリの時のスウェーデン政府の対応は、政府によるリスクコミュニケーションの理想例のひとつであると私は考えています。しかし、これは「政府=汚染者」ではないからこそコミュニケーションが上手くいった、という違いもかなりあるように思います。)

理想論をいえば、今回のような「政府が汚染者」という形の有事の際には政府とは独立な第三者的組織が「クライアント」となり、その第三者組織が人選した委員会に諮問するのがスジとしては良いのでしょう。今までの平時の枠組みでは「政府自体が汚染者」というケースは基本的に想定外であったように思われます。この点については、今後リスクガバナンス上の課題のひとつとして考えていく必要があると思います。

同情2:許容可能リスクの"相場"に頼れないし/独自に線を引けるほどの"正統性"もないし

このWGの案件の難しさとしては、「許容可能リスクに基づく管理」を目指したとしてもその許容可能リスクのデフォルトの"相場"に頼れないという点も挙げられるでしょう。

(*「許容可能リスクに基づく管理」の概念の説明については予習編をご参照ください)

今回の案件において、もしも化学物質の許容リスクレベルの"相場"である「生涯発がんリスクで10の-5乗(10万人に1人のレベル)」という許容可能リスクレベルを採用することができたのであれば、WGとしてもものすごくラクであったかと思います。

しかしながら、「生涯発がんリスクで10の-5乗」というリスクレベルは、仮にICRPの線形閾値なし(LNT)モデルに従うならば*5、そのリスクレベルに対応する放射線量はおおよそ「生涯数mSV」レベルのおそらく実質的に意味のないほどの小さなレベルになってしまいます*6

これではさすがに、「生涯発がんリスクで10の-5乗」というところを許容可能リスクレベルとして採用しそれに基づき管理をおこなっていくというのは現実的に難しいでしょう。

かといって、このWGに「生涯発がんリスクで10の-5乗」よりも高いリスクレベルのどこかで独自の線引きをしろ、と迫ってもそれも本来は無理ゲーであると思います。前回の予習編でも再三書きましたが、許容可能リスクレベルは本来的には当事者を中心とした社会的合意に基づき決める筋合いのものです。そのため、そもそも科学者たちによるこのWGにはその許容可能レベル自体を独自に決定するための権利(正統性/legitimacy)そのものが不足しているからです*7

ここでもちろん、このWGにそのような正統性がないこと自体はこのWG自体の責任ではありません

なので、この「本来すべきでないことを期待されている格好になっている」という点については、私はこのWGに深く同情いたします。より本質的な問題点は、このWGに独自の線引きを期待する(=大きな価値判断を下すことを期待する)格好となってしまっているリスクガバナンスの全体デザイン(設計)自体にあると私は思います。

同情3:ALARAの問題を論議できるだけのスペックが足りてるわけでもなし

もしかすると、このWGのひとつの可能なアプローチは、ALARAの原則に基づき「合理的に達成可能な範囲で最も低い規制値」を答申することであったかもしれません*8

(*ALARAの原則に基づくアプローチとは、リスクの大きさと社会経済的コストのバランスを考えながら、"合理的に達成可能なかぎり汚染を低減していこう"というアプローチです。この概念のさらなる説明については「予習編」をご参照ください)

しかしながら、結論からいうと、このWGにはALARAの原則にもとづいた専門的な議論できるだけのスペックがそもそもありません。そのため、ALARAの原則に基づききちんと規制値を答申しろというのは、このWGにとってのまた別の無理ゲーであるといえるでしょう。

もう少し具体的にいうと、ALARAの原則に基づき社会的コストおよび経済的コストを勘案するためには、とうぜん社会的コストや経済的コストを算出するための専門家が必要なのですが、このWGにはそのような社会系・経済学系の専門家が十分に含まれていないのです。つまり、そもそもALARAの原則に基づき専門的な(素人レベルではない)検討や判断を行うだけのスペックがないのです。

そして、このWGにそのような専門家が含まれていないこと自体はこのWG自体の責任ではありません*9

むしろこの「スペック以上のことを要求されてしまっている」、もうちょっと具体的に言うと「社会系・経済学系の専門家が十分に含まれていないにも関わらずALARAに基づくアプローチでしか処すことができないような難しい案件がこのWGに丸投げされてしまっている」という点については、私はこのWGに深く同情します。

ここでのより本質的な問題点は、「リスク評価」と「社会経済的コスト」についての議論の場が縦割り的に分離されてしまっている(そしてこのWGには前者を議論するためのスペックしかないのに両者の「折り合い」についての判断が求められてしまっている)というこのリスクガバナンスの全体デザイン(設計)自体にあると私は思います。

同情4: 汚染者負担原則を突き通せるほどの権限があるわけでもなし

このWGのまた別の方向性からの可能な答申として、「汚染者負担原則にもとづき、自然起源でのバックグラウンドレベルを超える放射線量については全面的に除染・規制を行い、それに伴う社会経済的コストは全て汚染者(東電・国)が全面的に補償しなさい」という形のものもありえたかもしれません*10

(*「汚染者負担原則」の概念の説明については予習編をご参照ください)

しかし、実際にWGが答申を求められている範囲は「放射線量の規制値の設定」に関する部分だけですから、その求められている部分だけを切りだすと、「バックグラウンドレベルを超える放射線量は実質ゼロにしなさい」ということになるでしょう。

この場合に難しいのは、「バックグラウンドレベルを超える放射線量は実質ゼロにしなさい」という管理方針が可能であるためには、その厳しい管理方針により損害を被る利害関係者(生産・流通関係者)に対する「持続可能な手厚い補償システム」の存在が前提とされなければならないだろうということです。逆に言うと、もし「放射線量の許容値は実質ゼロ」とこのWGが決めたところで、「補償」のほうでハシゴを外されてしまったら、「WGによる理想」と「補償の現実」の間のギャップに生産・流通関係者は丸裸で放置されてしまいます。

ここで「持続可能な手厚い補償システム」というものは、現実的には確たる財源の裏付けがなければ構築しようのないものです。そして、このWGには財源の問題について云々できるほどの権限が委譲されているわけではありません。そのため、「バックグラウンドレベルを超える放射線量は実質ゼロにしなさい」という答申を最終的な答えとしてこのWGが出すこともまた難しいともいえるでしょう(そういう考え方があること自体はどこかにちゃんと銘記しておくべきだとは思うけど)。まあ、このWGに生産・流通関係者を事実上投げ出す覚悟があればまた別なのかもしれませんが、その場合にもそもそもこのWGにそういう類の大きな価値判断("生産・流通関係者を投げ出す")をする権利(正統性)があるのか問われればまあそれも無いですよね。

ここでも、このWGにそのような財源の問題についての権限がないこと自体は、このWG自体の責任ではありません

なので、「汚染者負担原則にもとづき、バックグラウンドレベルを超える放射線量の許容値は実質ゼロであるべきだ」という観点からこのWGが批判されてしまうということについては、私はこのWGに深く同情します。

ここでのより本質的な問題点も、「補償と財源」と「許容値の設定」についての議論の場が縦割り的に分離されてしまっている、リスクガバナンスの全体デザイン(設計)自体にあると私は思います。

同情5: 低線量影響の議論はやっぱり難しい

あと、やっぱり低線量影響の議論はやっぱり難しいですよね。難しい案件であることは確かだと思います。

自問自答1:「じゃあお前ならどう答申したっていうんだよ!」

まあ文句を言ったり問題点を指摘するだけなら簡単なので、「じゃあお前ならどう答申したっていうんだよ!」という点についても少し寺門ジモン自答してみたいと思います。

もし私が今回のWGの座長だったら、本案件については許容可能リスクレベルについての複数のシナリオ(生涯1mSV, 10mSV, 25mSV, 50mSV, 100mSV, 250mSV, 500mSVの7通りとか)を想定し、ICRPの線形閾値なし(LNT)モデルに基づきそれぞれのリスクレベルに対応する食料品中の許容放射線量レベルを計算して答申するという方針を採るでしょう。そして、最終的に「この中のどのシナリオを採るかは政治*11の責任である」と報告書に率直に書くことになるかと思います 。もし理想論が通用すれば、ですが。

このWGには独自に許容可能リスクに線を引くことについての正統性が無いわけですから、こういう形で答申するしかないのではないかと、ひとまず私は思います(が、みなさまはどう思いますか?)。

自問自答2:「じゃあお前ならどうリスクガバナンスの全体デザインを構築するっていうんだよ!」

この問題は難しいですよね。

例えば、より理想的なリスクガバナンスのデザインとしては、「許容可能リスクレベルの線引き自体は利害調整の場としての"政治"*12の責任において行い、その線引きされた許容可能リスク量を各食品に割り当てるところについては食品安全委員会が責任をもって行う」というやりかたが一つのアイデアとしてありうるでしょう。

またALARA的なアプローチに沿うならば、(1)上記自問自答1の例のように、食品安全委員会が許容リスクレベルについての複数のシナリオを基に食品中の許容放射線量レベルを計算し、(2)新たに設置したナンチャラ委員会が、それら食品中の許容放射線量レベルを基に各シナリオにおいて予想される社会コスト・経済的コストを計算し、(3)最終的に政治の責任においてそれらの想定リスクと社会・経済的コストのバランスを勘案して"合理的に達成可能な"食品中の許容放射線量レベルを決定する、という形もありかもしれません。


ただし、現実的な問題としてどうやれば「"許容可能リスクレベル"あるいは"合理的に達成可能なレベル"の線引き自体を政治の責任において行う」ということを制度の中にビルトインできるのかは私には良くわかりません細野豪志大臣が「年間1-5mSVの場所は国の責任で除染する」と言ったように、政治の責任で明確にラインを引いてくれれば大変シンプルかつ筋の良い形にはなると思うのですが、そういうことが期待できない場合にどうすれば良いのかというと、どうしたらいいのでしょうね。。。

まとめ:そもそも論をいえばリスクガバナンスの全体デザイン(設計)自体の問題もかなりあるよね

まとめます。

結論を言えば、前回前々回で書いたようにこのWG自体にも大きな問題はあるのですが、そのWGを取り巻くリスクガバナンスの全体デザイン自体の問題というのもかなりあるよねということになります。

委員会に参加する専門家の視点から見ても、「それぞれの専門家に何をどこまで信任するのか」というラインが曖昧なままだと実際問題として参加した専門家の方もとてもやりにくい(というか恐怖を感じる)ものです*13。今回のWGも、大元をたどれば「それぞれの専門家に何をどこまで信任するのか」、また「その信任したことの結果について責任を負うのは誰なのか(信任した方なのか信任された方なのか)」というリスクガバナンスにおける最重要とも言えるところのラインについて曖昧なままきてしまっているためにこんなにgdgdになっているのだとも言えるでしょう。

で、そのラインを誰が引けば良いのかと言えば、「単なる一兵卒であるWGの現場の専門家がラインを各自で判断して引く」というのはガバナンスの形として非常に危ういと思うので、本来ならばメタの立場の人が責任を持ってそのラインを明示的に引いておかなければならないのだろう、と私は考えています。


リスクガバナンスの全体デザインに問題があるときに、本来その全体デザインの悪さの問題であるにもかかわらずWGに参加する現場の専門家の方が叩かれてしまうというのもママあるように思いますので、そういうのは誰にとっても得にならない(というか却って本当の問題解決の妨げとなる)ので気をつけたいなぁと思います*14



はい。


というわけで、これでこの一連の放射性物質の食品健康影響評価WGについてのエントリーは全部終わりになります。(今回の長ったらしい一連のシリーズにお付き合いいただいた皆々様方に大変感謝いたします!)

一応、今までのこのシリーズの過去エントリーへのリンクも再掲しておきます:
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放射性物質の食品健康影響評価WGの評価書(案)を読んでみた(その1) - Take a Risk: 林岳彦の研究メモ
放射性物質の食品健康影響評価WGの評価書案を読んでみた(その2・疑問編) - Take a Risk: 林岳彦の研究メモ
同情編のための前置き:許容可能リスク・ALARA・予防原則・汚染者負担原則 - Take a Risk: 林岳彦の研究メモ
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なんというか最終的にはかなり大きな話になってしまいましたが、日本におけるリスクガバナンスの機能不全についてはわれわれリスク学クラスターの人の責任はとても大きいですので、私たちがもっとがんばっていかねばならないと思っております。そのためには関連諸分野の方々とも様々な協力が必要になってくるかと思いますが、その節は何卒よろしくお願いいたします(大ぺこり)。


【*追記:上記の一連のエントリーはハッキリ言って私の本来の専門性*15を超えた領域について背伸びして書いたものなんすよね*16。で、あんまり質の高いものだと思っているわけでもありません。たぶん本当は、日本には少なくとも1000人くらいは上記のような内容について私よりも詳しくて私よりも分かりやすく私よりも深い洞察を込めて書ける人がいるはずだと思いますので、そういう方々に上記の私の不完全な考察について適宜フォローしていただけたら願ったりかなったりです。よろ!>本来の専門家】

*1:でもまあこのWGはけっきょくマウンドに上がっただけで打者と全く勝負せずファーボール連発して満塁にするだけして逃げたとも思ってるけど/さらに[http://www.foocom.net/special/5113/:title=「外部被ばくのことなんて何も言ってない」とかシラって言ってのける]のには本当に呆れましたが

*2:もちろん東電もだけどもちろん政府の監督責任もかなりの部分あると思う

*3:間接的なものはもちろんありますよ

*4:あ、BSEに関しては利益相反関係かもしれん

*5:このレベルの超低線量側外挿は実質上は余裕でLNTの適用可能範囲外だと思うけど、まあ仮に

*6:ただし化学物質は何万種類もあるのが前提なので、放射線のリスクレベルと単純に値を比較できるものではないことには注意

*7:じゃあ相場としての「生涯発がんリスクで10の-5乗」を使うことの正統性についてはどうなの、という話はまた別の機会に

*8:まともに答申していないので分かりようもないのだけれど、もしかしたら現状もそのつもりであるのかもしれない?

*9:まあでもWGとしてそういう専門家呼べばいいじゃん、というツッコミは当然ありますが。でも単に「呼べば解決」するような浅い論点ではないとも思います。とはいっても、とりあえず岡敏弘先生とか呼んでみりゃよかったんじゃないの、ともやっぱり思ったりもしますが

*10:個人的には東電はいちどしっかりと破綻させた上で、事業を担う部分と賠償を担う部分を切り離し、賠償の部分は事実上政府がまとめて対応するという形が望ましいと思っていました。が、現状では東電を延命させて事業を行いながら賠償を行わせるというスキームになってしまったのでとても残念です。「事業を行いながら賠償させる」ってとても不安定なスキームだからやめたほうがいいと思うのですが...

*11:当事者を中心とした国民の間の社会的合意・利害調整の場としての"政治"という意味/必ずしも"政治家"がパターナリスティックに決めろって意味ではないよ

*12:決めるための手続き論についてはいろいろあるとは思いますが、最終的な責任においては「政治」の、ということで

*13:少なくとも私は、今回のような重い案件のWGへ「何をどこまで信託されているのか」のラインが曖昧なままに参加するのはかなり怖いです

*14:そういう理由でこの同情編を書きました。自戒を込めて

*15:統計的リスク解析とか個体群モデルを用いたリスク評価とか性選択モデルとか

*16:だから書いていてけっこうしんどかった