Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

研究者諸賢への引継ぎ:学術誌の購読料高騰と論文のオープンアクセスについての情報まとめ

こんにちは。林岳彦です。好きな文房具はフリクション、最近のお気に入りは0.5mmのブルーブラックです。人生もフリクションのように過去の過ちをゴシゴシと消せたらいいのに、といつも思います。


さて。

わたくしは昨年度後半の半年間、弊所(国立環境研究所)内の企画部へと出向しておりました。そこでの諸々の業務については5月には後任の方に引き継ぎを完了したところです。この出向中に関わったものの中に「論文のオープンアクセス(OA)」の案件がありました。この案件に関する情報については単に弊所内の後任の方へ引き継ぐというよりも、日本の研究者/学術界の皆様へ広く引き継いだほうが良いかもしれないと思うところがあり、本記事を書くことにした次第です。


基本的に、現在の学術誌購読料と論文のOAを巡る状況は、いやこれほんとうに色々と舵取り難しいぞというところがあります。そのため、少なくとも職業的研究者の方々はこの状況について職務に関わる一般的な知識のひとつとして知っておいても良いのではないかと思います。

また、この文章を目にしている研究者のみなさまの中には、将来的に各研究所・大学・学会等で「論文のOA/(学術誌の購読に関する)図書館運営」についての検討委員などを担当される方もおられるかもしれません。そのような業務を担当される際に、本記事を本案件についてのエントリー的解説・情報リンク集として役立てていただければ、私としては最高に嬉しいです。


あ、最初に大事なことを書いておきますが、学会誌の購読料や論文のOAに関する状況は分野によって色々と異なる部分が大きく、本記事の記述に対して「自分の分野では違うよ!的外れだよ!」と感じる方も多いかもしれません。それはとても自然なことで、まさにそういう「各分野での慣習や認識の違い」も本案件における理解と合意形成が難しい本質的な要因の1つとなります。なので、「自分の分野では違う!」という違和感それ自体もまたこの案件を構成する要素なのだ、というメタ的な心づもりで本記事をお読みいただければ大変ありがたいところです。

内容をプロット的な箇条書きでまとめました

えーと・・・気負いつつも書きたいことを全て書いていたら、気を失うほど記事が長くなり執筆が座礁しかけてしまいました。

なので、本記事では「学術誌の購読料とオープンアクセスを巡る背景と現況」について以下のようにプロット的な箇条書き形式でサラッとまとめることにしました。

以下ではサラッとした説明に留めたので、さらなる詳細については文中の参照文献をお読みいただければと思います。むしろ、本記事の本体は参照文献リストの方であり、本記事内の文章はそのリストの添え物という心もちでお読みいただければありがたいところです。本案件に関する文献の多くはオープンアクセスになっているので、誰でも無料でダウンロードしてお読みいただけます。

ーーー

(1) 背景:学術出版の寡占化と”シリアルズ・クライシス”
  • 学術論文は「人類の知的アーカイブ」であり「人類の公的資産」である
  • 現在、「人類の公的資産」である学術論文へのアクセス許諾の権利は、少数の商業出版社により寡占されている
  • 1980年代以降の商業出版社の学術誌寡占化による購読料の高価格化(”シリアルズ・クライシス”)、さらに2000年代以降の出版業務の電子化による継続的な高騰により、学術機関による学術誌の購読の維持はますます難しくなってきている尾城・星野 2010
    • メモ:経済学的な観点から見た場合、読者の立場から見た「学術誌」は代替の難しい財であるため価格が高止まりしやすい*1
  • また、ジャーナルの電子化により、個々の雑誌の購読ではなく出版社単位での「学術誌のセット販売化*2」が定着してきている
  • 出版社による「セット販売化」と並行して、購入側では複数の機関によるコンソーシアムを介した一括大型購入契約(”メガ・ディール”契約)が定着してきている(尾城 2010; PDF直リンク
  • ”メガ・ディール”により、アクセス可能な学術誌数の機関間格差は一般に縮まったものの、全体での学術誌購読費用は依然高止まりしつづけている(尾城 2016; PDF直リンク
  • 多くの学術機関において運営費交付金が減らされて続けている中で、学術誌の購読費用の高騰や高止まりは正直しんどい
(2) オープンアクセスの潮流とそのさまざまな思惑:OAメガジャーナルの興隆と伝統誌のハイブリッド化
  • 学術誌購読料の高価格化が進む一方で、「オープンアクセス(OA)論文」の潮流が育ちつつある(オープンアクセス - Wikipedia
  • 「OA論文」とは、購読料を支払わずとも誰でも無料でダウンロードして読める論文である(→読者にとって優しい)
  • 「論文のOA」には大きく分けて”Gold OA”と”Green OA”がある佐藤 2013)
  • "Gold OA"とは:出版社により出版された公式の論文がそのままOAになるケース
    • Gold OAのケースでは、一般に出版費用(APC; Article Processing Charge)を著者側が支払う
  • PLoS系やBMC系などのGold OA専門の”OAメガジャーナル”は、「読者側」から購読料を取るのではなく、論文を数多く掲載し「著者側」からAPCを徴収することにより収益を得るビジネスモデルである
    • これらのOAメガジャーナルは、ビジネスモデル的に多くの論文を載せる必要があることから査読が甘くなりがちで、一般論として、論文の質の担保に課題を抱える
  • 近年は、伝統的な購読型(非OA)の学術誌においても、オプションでAPCを支払うことで論文単位でGold OAにできる(従来の学術誌の”ハイブリッド誌”化)
  • "Green OA"とは:著者自らが著者原稿等を電子アーカイブとして公開するケース
    • 物理学や経済学などプレプリント文化を持つ分野では、arXivなどのプレプリント・サーバーの利用が広まっており、著者原稿等が無料で読めるシステムが成立している(arXiv - Wikipedia
    • Green OAは一般に商業出版の枠外での公開であるが、一般に、論文の質の担保のための査読システムなどは既存の商業出版のシステムに依存/寄生している側面もある
    • 従来の購読型の学術誌でも、エンバーゴ期間の後などの条件付きで、APC無しで「著者原稿等の著者によるアップロードによるGreen OA」を認めているケースもある
    • Green OAでの原稿のアップロード先としては、研究者が所属する機関のレポジトリリポジトリや、研究者SNSの一種であるResearch Gateなどが利用されることが多い(機関リポジトリ - Wikipedia; ResearchGate - Wikipedia
(3) どうやって/どこまでOAにするのか:前門の購読料、後門のAPC
  • 学術論文のOAにおける大義:公的資金で行った研究は、市民に無料で還元されるべき(キッパリ)
  • 世界的に学術論文のOAについてはもはやその是非を議論する段階は過ぎており、現在の論点は「どうやって/どこまでOAにするのか」である佐藤 2013
    • 実質的に考えると「論文のOA」とはGold OAであり、一般にGreen OAは周辺的・補完的なものでしかない*6(土屋 2016; PDF直リンク
    • OAの普及により購読料の高騰を止められるかどうかは微妙なところである(機関レポジトリリポジトリを介したGreen OAは購読料の高騰に対してはおそらく無力と思われる; 土屋 2016; PDF直リンク
  • 研究費負担の観点からのワーストケースとして、「購読料」と「APC」の二重取りにより、今後さらに研究者/研究機関の費用負担が増することもありうる
  • ワーストケースを避けるための出版社との”メガ・ディール”の交渉においては、まず「購読料+APC」の総額を把握することが基礎データとして必要である(林 2014
  • しかし、一般に学術機関内で「購読料」と「APC」は予算管理的に全く別枠なので、現状ではその総額を把握することすら困難である
  • 「購読料+APC」の総額をマクロで見ると、おそらく「全てOA誌に移行(=全ての学術誌が「購読料無し+APC有り」になる状況)」が一番安くなるらしい(尾城 2016; PDF直リンク
    • メモ:経済学的な観点から見た場合、「読者にとっての学術誌」は代替が難しい財であるのに対し、「著者にとっての学術誌」は代替可能な財であるため価格高騰が比較的に生じにくい(著者はAPCの安価な雑誌を選んで投稿することができる)
  • 「全ての学術誌が「購読料無し+APC有り」となる状況が正解」だとしても、その具体的な「移行への道筋」は見えない(山本ら 2016;PDF直リンク
(4) 全てOAになる日まで:「読者-著者-学会」のジレンマ
  • 国際的にも国内的にも「全ての論文についてのOA」を目指すことは既定事項であるが、その途上で「読者-著者-学会」のジレンマが生じることはおそらく避けがたい(以下に2つの将来シナリオの例を示す*7
  • 全OAへの将来シナリオA: PLoS系やBMC系のようなOAメガジャーナル、もしくはarXivのようなプレプリント・サーバーが中心となり全OAへと進む
    • 読者の立場としては◎→論文が無料で読めるので助かる(購読料による壁の消失/非アカデミアや経済の弱い国の読者にも利益大)
    • 著者の立場としては○→OAメガジャーナルが主流となることでAPCに健全な価格競争が働き、APCが比較的に安価に留まる。ただし、APCが必須化することで経済の弱い国の著者が投稿しにくくなる懸念もある*8
    • 学術誌を運営する学会の立場としては×→既存の学会が担う「伝統ある購読型学術誌」が斜陽化する。分野における論文の質の担保にも大きな課題を抱えることになる。ひいては学会の”存在意義”の見直しも必要となるやも
  • 全OAへの未来シナリオB:「ハイブリット化した伝統誌」が中心となりつづけ、ハイブリット誌の枠組みの中で全OAへと進む(OAメガジャーナルやプレプリント・サーバーは周辺的存在のまま)
    • 読者の立場としては△→どのみち論文単位のOA化でのOAが広がるため、無料で読める論文は増えていく。ただし、購読料ベースのビジネスモデルは併存されるため購読料の高騰は解消しない
    • 著者の立場としては×→ハイブリッド化した伝統誌における論文単位でのOA化のための高額のAPCが研究費を圧迫する。最悪の場合には「購読料とAPCの二重徴収」でさらに研究費が圧迫される。さらに、高額のAPCを払えない著者は高IFの雑誌に投稿しにくくなる
    • 学会の立場としては◎→既存の学会が担う「伝統誌」が維持される。論文の質担保が維持される

  • どちらの将来シナリオでも、ブランド系ジャーナルのAPCは高止まりしそう。超高IFの雑誌に投稿できるのは経済的に余裕がある研究者だけになるかもしれない。
  • 将来シナリオBの場合でも、「ハイブリッド化した伝統誌」を運営する学会側が「論文単位でのOA化のためのAPC」の価格を制御できれば問題ないのではあるが・・・
    • 力のある学会であれば「学会員のAPC減免」や「エンバーゴ期間の設定(→論文単位でのOA化のためのAPCを支払わなくとも中長期的にはOAは担保される)」のような形でバランスを取りながらの運営が可能かもしれない
    • しかし一般に、学術出版の寡占化により商業出版社の力は強大なものになっている
    • そのため、現在のところ学術誌の運営母体である学会側は自らの雑誌の運営方針についての自己決定権の多くを失ってしまっている
      • メモ:例えば学会は(「のん」のように)自らの学術誌の名称の権利も学術出版社側に握られている場合が多く、自ら運営する雑誌について出版社から独立することもなかなか難しい有田 2016
    • 分野によっては学会が主導する形でのOA推進もありうるのかも(例;物理学系のSCOAP^3; 安達 2016; PDF直リンク

まとめと雑感、および研究者諸賢へのお願い

はい。以上にプロット形式でまとめてみました。プロット形式にしても長かった。。。


以下、まとめと雑感とお願いです:

内容のまとめ:
  • 雑誌購読料が高止まりしていて、ずいぶん前から学術界として正直もうしんどい(尾城・星野 2010
  • 学術論文の全OAの推進は国際的にも国内的にも既定事項であり、現在の論点は「どこやって/どこまでOAにするか」である(佐藤 2013
  • 論文のOAには”Gold OA”と”Green OA”がある(佐藤 2013; オープンアクセス - Wikipedia
  • OAとは実質的には”Gold OA”であり、Green OAは周辺的・補完的なものである(土屋 2016; PDF直リンク
  • 伝統的な購読型学術誌の論文を論文単位でOA化しようとすると、一般に高額のAPCがかかる(林 2014
  • 「全てがOA誌になる未来」が「雑誌購読料+APC」の総額としてはおそらく一番安く済む(尾城2016; PDF直リンク
  • 全OAへの途上には「読者-著者-学会のジレンマ」が待ち構えている
  • 全OAへの具体的な道筋は見えず、今後の舵取りは簡単ではない(山本ら2016; PDF直リンク
林の雑感:
  • 研究者サイドが「日本の学術界として雑誌購読料やAPCに関する価格交渉力をどう獲得していくのか」という視点を持たないと、全OAへの流れの中で大手商業出版社の良い金づるとして日本はカモられ続けるのは必至だと思う
  • OAメガジャーナルのことを見下している研究者も(特に年配の研究者に)多いが、学術界としてOAメガジャーナルを「うまく育てて適切に位置づける」ことは学術界の未来のために重要であると思う
  • この件では研究者は大手商業出版社のgreedさを一方的に責めがちであるが、その"greed"なモンスターを育てたのはとりもなおさず「研究者たち自身のIFと論文数を巡る欲望」であることをもうちょっと自省しても良いと思う(仮面ライダーオーズ的なかんそう)
  • 声が大きくて予算が潤沢な研究者はAPCのお金など気にしなさそうなので、そもそも日本では「購読料とAPCの二重徴収」は問題として認識されないままに終始するのかもしれない
  • 学会運営サイドとしての研究者の立場から考えると、全OAという方針の中で学会誌の舵取りをどうするのかというのはかなり悩ましい問題である。正直、どのような舵取りが正解なのか何とも言えないところがある。悩ましい。
  • 特にマイナー学会は、全OAの方針により「学会誌の閲覧権」という会員特権が無くなったときにどうやって学会の魅力を維持しうるのかを真剣に考えないといけない。こちらも悩ましい。
研究者諸賢へのお願い:
  • 論文の投稿先を選ぶときには、本記事の状況を頭の片隅に置いた上で選んでほしい
    • greedyな学術誌への投稿は、その学術誌のgreedyな運営方針への実質上の承認/加担として機能することを自覚しよう
  • もし所属機関の図書館や管理部門の人が「研究者がAPCにかけている費用」を知りたがっていたら積極的に協力しましょう
    • 「学術誌購読料+APC」総額のデータがないと図書館コンソーシアムが大手出版社とメガ・ディールの交渉をしにくいという事情があるそうです


はい。

つらつらと書いてきましたが、私から伝えたいことは以上です。

もし内容に何かツッコミや補足などありましたらコメント欄やブコメやtwitterなどでお知らせいただければ、追記や改訂など適宜対応いたしますのでぜひ情報をお寄せください。


今回も長い記事となってしまいましたが、ここまでお読み頂いた方、大変ありがとうございました!


# 本記事をもって私の弊所内の管理部門への出向からの引き継ぎ作業は全終了したので、これからはブログもぼちぼち更新していきたいです

【謝辞】

本記事の執筆においては国立環境研究所の尾鷲瑞穂さんに情報のご提供および記事内容への貴重なコメントをいただきました。大変ありがとうございました。
*尚、本稿の文責は全て林岳彦にあります。また、本稿の内容は特定の組織の見解を反映したものではなく、林岳彦個人の見解です*

【参照文献リスト】

本記事の文章にはニワカである林の私見も交じっておりますが、以下の文献についてはその道のプロが書いたものとなりますので*9ので、もし本件についての公的な議論にご参加する際にはぜひ以下のリストの文献を一通り直接お読みいただければと思います。

  • 尾城 (2010) 『ビッグディールは大学にとって最適な契約モデルか?』(PDF直リンク
  • 尾城・星野 (2010) 『連載:シリアルズ・クライシスと学術情報流通の現在 (1) 学術情報流通システムの改革を目指して 国立大学図書館協会における取り組み』(リンク
  • 佐藤 (2013) 『オープンアクセスの広がりと現在の争点』(リンク
  • 林 (2014) 『オープンアクセスを踏まえた研究論文の受発信コストを議論する体制作りに向けて』(リンク
  • 尾城 (2016) 『学術雑誌のキャッシュフロー転換の可能性を探る 〜JUSTICE/SPRAC Japan合同調査チームによる調査結果の概要〜』(PDF直リンク
  • 土屋 (2016)『オープンアクセスのあり方、グリーンOAとゴールドOA』( PDF直リンク
  • 山本ら(2016)『ディスカッション「グリーンOAとゴールドOAと日本としての対応」』(PDF直リンク
  • 有田 (2016)『学術誌をどう出版するか:商業出版社に託す場合の注意点』( リンク
  • オープンアクセス - Wikipedia

オープンアクセスを巡る近年の動向については、以下の2016年開催のセミナー資料をチェックすると雰囲気が一番掴めるかもしれません

その他参考情報:

*1:重要な先行研究の論文はどんなに価格が高くとも読まないわけにはいかない!

*2:”読みホーダイ”プラン的な

*3:英語にも「二度づけ」という表現があるんだなあ、と思いました(こなみ)

*4:雑誌によっては購読料を払っている人のAPCを割引するケースもあるらしい/この辺りは分野にもよるので林は正直良くわからない部分がある

*5:この辺りは個々の雑誌の方針による

*6:プレプリント・サーバーの利用が定着している分野では少し事情が異なるかも

*7:以下のシナリオは林が説明のために便宜的にまとめた仮想のものであり、専門家の裏付けがあるものではないのでご注意ください

*8:この点については、雑誌によってはAPCの減免措置なども用意されている

*9:まあでも「一般の研究者目線」というよりは「図書館目線」だなあ、というのは端々に感じるたりもするところではありますが