Take a Risk:林岳彦の研究メモ

自らの研究に関連するエトセトラについてのメモ的ブログです。主にリスク学と統計学を扱っています。

「1000年に1度」の意味:頻度と確率を混同しちゃダメ!

今回の大地震を巡って、ときおり頻度と確率が混同されているように思われるので、整理のためのメモをしておきたいと思います。

「1000年に1度」=「今年1年間に大地震が起きる確率が1/1000」?

今回の大地震は869年に起きた貞観地震以来の規模ということで、「1000年に1度の」と形容されることがあります。では、このような「1000年の1度の」大地震を、確率論的リスク分析のモデルに取り入れたい場合にはどのように記述すればよいでしょうか?

「今年1年間に大地震が起きる確率が1/1000」というモデリングでもよいでしょうか?

実は、それではダメです。

「頻度イコール確率」と短絡してはいけない

「頻度イコール確率」という解釈が成り立つためには、少なくとも以下の二つの条件が満たされている必要があります。

  • (1)充分に長い系列の中で頻度が観測されている
  • (2)事象が独立に起こる

(1)の方は、厳密なことを言えば「系列の長さを無限に近づけたときの事象の比率(何回中何回起きたか)=確率」という考え方*1に対応します。

現実にはもちろん「無限の長さ」が求められるわけではありませんが、少なくとも充分な系列の長さがないと頻度から確率を導きだすことには無理が生じます。単に「前回が1000年前」という情報から「今年1年間に地震が起きる確率が1/1000」ということには無理があるでしょう。

「プレート型地震」は独立事象ではない

さて、今回の場合には(2)の方が本質的な論点となるかと思います。
「1000年に1度大地震が起きる」と「今年1年間に大地震が起きる確率が1/1000」ということが等価となるためには、それぞれの事象(大地震)が独立に起こらねばなりません。

独立な事象の例としてはサイコロがあります。サイコロの出る目は前回でた目とは関係なく決まります(履歴に依存しない)。このような場合には、「平均して6回に1回の頻度で1の目が出る」というのを「今回1の目が出る確率が1/6」と解釈しても実用上は問題はないでしょう。

さて、地震についてはどうでしょうか。今回の海溝型のプレート間地震のような「ズレが蓄積していき、ある程度いくとバネのようにその力が一気に解放される」という経緯で起こるものについては、それぞれの地震は独立に生じるとはいえません(履歴に依存する)。

海溝型のプレート間地震が起こるプロセスは、「サイコロを降る」ようなプロセスとは全く異なるのです。

「今年大地震が起こる確率」は条件付き確率として記述される

「今年大地震が起こる確率」は、単なる過去の頻度ではなく、概念的には次のような条件付き確率として捉えることが適切と思われます。

今年大地震が起きる確率=p(1年の間に大地震が起きる|以前に大地震が起きてからの年数)

海溝型のプレート間地震では、以前に大地震が起きてからの年数が経つほど、プレート間のズレとして力が溜まっていきます。そのため、大地震の直後には大地震が起きる確率は低くなり(ズレに溜まった力が解放されてしまったので)、以前に大地震が起きてからの年数が増加するに従い大地震が起きる確率は高くなるものと考えられます(ズレに徐々に力が蓄積されてくるので)。

今回の大地震を受けてしばしば「1000年に1度の事態に備えるべきか」という議論がされています。しかし、たとえ頻度が「1000年に1回」であったとしても、そのメカニズムを考えれば、今年1年間に大地震が起こる「確率」は実際には「1/1000」よりもかなり高かったものと考えられるでしょう。

このような場合には、「頻度ベース」ではなく「確率ベース」で議論したほうがリスクを正確に把握することができます。

短絡せずに事象が起きるメカニズムまで考えよう

究極的には生きることはある種のギャンブルであることを免れえませんが、せめて我々がどのようなギャンブルをしているのかくらいは自覚しておきたいものです。

頻度と確率を混同することは、想定しているよりも分の悪いギャンブルをすることにも繋がります。「確率=頻度」と短絡することなく、事象が起きるメカニズムまで考えるように気をつける必要があります。

*1:頻度主義的確率概念の定義